日産を復活させたゴーン氏の
「理論的経営」を振り返る

 ここで、業績が長期にわたって低迷し、2兆円の負債を抱えて倒産寸前となり、日本政府も見捨てたといわれた日産が「ゴーン改革」で復活した経緯を振り返ってみたい。1999年にルノーの傘下に入った日産に来たゴーン氏は、これまで長年の慣習と文化に浸り、経営者の経験と勘に依存していた日本企業に、「理論的経営」を導入した。

 まず、ゴーン氏は、開発、生産、購買、販売という主要部門が責任をなすり合って意思決定と実行が遅れる縦割り組織の弊害を正すために、「クロスファンクショナル(CFT)チーム」を設置した。解決すべき課題ごとに9つのCFTチームを発足させて、そのチームリーダーを「パイロット」と名付けて40代の課長クラスに任せた。CFTは日産再建策「リバイバルプラン」の原案をわずか4ヵ月で作成した。

「リバイバルプラン」では、国内5工場の閉鎖やグループ従業員の14%に当たる2万1000人の削減、部品調達先を1415社から600社へ削減、航空宇宙部門など本業以外の事業の売却など、総額1兆円のコスト削減を断行した。

 このコスト削減策を通じて、ゴーン氏は、日本企業の長年の慣習であり文化であるといえる「系列」を破壊した。部品調達先などとの「系列」関係が、日産社員の天下り先となり、甘えの構造の基になっていると見抜き、容赦なく切り捨てたのである。

 また、ゴーン氏は「コミットメント(必達目標)」という概念を導入した。具体的に「リバイバルプラン」では、2001年3月期までの黒字化、2003年3月期までに営業利益率4.5%の達成と有利子負債の50%削減の「3つのコミットメント」を掲げた。

 そして、ゴーン氏は、「黒字化できなかったら責任を取って退任する」と宣言した。当時、日本企業の経営者が、「経営責任を取る」と明言するようなことはなかった。どこか曖昧さが許されてきた日本の企業経営に、ゴーン氏は明確な「ノー」を突き付けた。

 ゴーン氏の「理論的経営」によって、倒産寸前だった日産は、ルノーの傘下に入ってわずか2年後の2001年3月期決算で、過去最高の当期純利益2500億円を達成したのだ。