ジョージ・H・W・ブッシュ氏の光と影

2018年12月3日公開(2018年12月3日更新)

 今となっては信じがたいが、ジョージ・H・W・ブッシュ氏は1988年に「弱虫」だと批判された。当時、ブッシュ氏は8年目の副大統領だった。それ以前には中央情報局(CIA)長官、国連大使、下院議員を務めた経験があり、第2次世界大戦を戦っていた時には空軍パイロットとして太平洋で撃墜されたこともあった。戦後は居心地のいいコネティカット州を離れ、テキサス州で石油業界に入った。ロナルド・レーガンの後を継ぐ大統領選に出馬すると、メディアにたたかれた。

 ブッシュ氏は共和党予備選を制してそれに応じ、本選ではマイケル・デュカキス氏のリベラリズムをあぶりだして勝利を手にした。同じ党から3期連続で大統領が生まれるのは珍しい。愛国者としての義務心と品位によって模範を示した元大統領は、11月30日に94歳で死去した。

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 ブッシュ氏が大統領に就任したのは、レーガン政権の2期を受けて米国が世界中で恩恵を享受していた絶好の時期だった。米国の国内総生産(GDP)は1980年代にドイツ経済の規模ほど増加し、国は自信と軍事力を取り戻していた。ソ連の指導者は冷戦に勝てないとの結論に至り、ミハイル・ゴルバチョフは改革に乗り出した。

 ブッシュ氏の歴史的貢献は、個人外交を使ってワルシャワ条約機構の解散やドイツ再統一、ソ連解体を乗り越えたことだ。米国が冷戦に勝利したことを声高に自慢するのを拒否したこともあってゴルバチョフ氏の信頼を勝ち取った。レーガン氏は大胆さやイデオロギー上の信念で長く薄暗い戦いに勝ったが、ブッシュ氏は慎重な性格と長い経験を一助に、戦火を交えることなく交渉で移行を促した。これほど平和的に崩壊した帝国は歴史上ほとんどない。

 第41代大統領のブッシュ氏は90年にクウェートに侵攻したイラク軍も撃退した。レーガン氏がそろえていた武器を配備し、国内では民主党の反対に遭いながら、圧倒的な軍を率い、冷戦後の秩序の基準を定めた。

 勝利に汚点を残したのは、終戦を急ぎすぎたためにサダム・フセインを権力の座にとどまらせてしまったことだ。それによって、イラク北部のクルド人を保護したようには南部のイスラム教シーア派を守ることができなかったことだ。フセインは反乱を起こしたシーア派を虐殺して生き延びたが、ブッシュ氏は助けなかった。

 12年後、息子のジョージ・W・ブッシュ氏が9・11同時多発テロを受けてイラクに侵攻し、フセインを権力の座から引きずり下ろすことになる。一般に、バグダッドにまで攻め込まかった父親の方が賢明なリーダーだったと考えられている。しかし、終戦を急ぎすぎた結果、フセインという大量破壊兵器の脅威が残り、遅かれ早かれ再び攻撃に出る状況を生んだ。

 慎重なブッシュ氏は冷戦終了に際し、一帯の安定に向けて統一ユーゴスラビアを支持した。だがこの国は、冷戦の惰性でまとまった民族のるつぼだった。そうした緊張がビル・クリントン時代に爆発し、少数派保護とボスニアおよびコソボの安定回復のために米軍が乗り出す羽目になった。

 ブッシュ氏の内政は、議会民主党への対処を迫られたこともあって期待外れだった。88年の大統領選は、リベラルか保守かの選択という古典的な構図に持ち込んだことで制した。そして当時の境界線は現在と同様に税金だった。ブッシュ氏は共和党大会で、「よく聞いてほしい。新たな税はない」と述べたが、これは同氏の政治生命を決定づける重要な瞬間となった。

 ブッシュ氏が育った時代は、今より妥協が普通で、両党の議員が交流もしていた。ブッシュ政権を1期にとどめることが目標だった民主党のジョージ・ミッチェル上院院内総務の党派心を、ブッシュ氏は見くびっていた。

 ブッシュ氏は、民主党が福祉改革つまり歳出削減に合意する前に増税を受け入れ、ミッチェル氏の術中にはまった。最終合意につかの間の歳出削減が盛り込まれた一方、税金に関するブッシュ氏の公約は破られた。ブッシュ氏は1989年4月、「『よく聞いて』の約束は破れない」、「破れば私は完全につるし上げられるだろう」と日記に記していた。正しかった。

 さらに悪かったのが増税のタイミングだ。ブッシュ氏と民主党の合意により既に減速していた経済を増税が直撃し、景気は緩やかな後退期に入った。ブッシュ政権は、受け継いだ貯蓄貸付組合の混乱は見事に終息させ、92年10-12月期(第4四半期)には4.2%の経済成長を実現させた。

 最高裁判事の指名はまちまちだった。信頼できるリベラルな意見以外に何も残さなかったデービッド・スーター氏と、信念を持った始原主義者のクラレンス・トーマス氏だ。だが増税と景気後退はレーガン連合を粉砕し、ロス・ペロー氏が92年の大統領に出馬するなかビル・クリントン氏勝利に道を開いた。現職のブッシュ氏の得票率は37%だった。

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 全ての共和党大統領と同様、ブッシュ氏は現職時代ではなく後になってからメディアやリベラルのエリートに好かれた。左派は政治コンサルタントのロジャー・エイルズ、リー・アトウォーター両氏にデュカキス氏をつぶさせたブッシュ氏を決して許さなかった。ブッシュ氏は党派分断の深化に向かう米国の変化も見逃した。

 ジョージ・H・W・ブッシュ氏はイデオロギー二極化が進む時代にあって中道の性質を持った人物だった。年々下品になる文化の中で紳士だった。何よりも、私人としても公人としても称賛すべき人物であり、権力だけでなく国のためにもなる政府サービスがあると信じていた。彼を批判する人々は認めないが、こうした美徳がブッシュ氏を優れた大統領にしたのだ。

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