日本史の偉人たちを「すごい」と「やばい」の2つの視点から紹介する書籍、『東大教授がおしえる やばい日本史』が話題になっている。
当初は児童書として発刊された本書だが、なんと読者の半数は大人。意外と知らない日本史の真実がウケて、18万部突破のヒットとなった。

「春日局」のここが“すごい”!
下働きから将軍のプロデューサーに出世した

 春日局は、徳川将軍家の子どもたちや妻たちが住む江戸城の大奥をとりしきる、いわばラスボス的存在。

 しかし、ラスボスへの道はかんたんではありませんでした。もともとは明智光秀に仕えるエリート武家のお嬢さまとして生まれた春日局。ところが、3才のときに光秀が「本能寺の変」を起こし、父親が殺されたところからハードモードな人生を歩みはじめます。

 春日局はお嬢さまのプライドを捨て、公家の家の下働きになりました。その後結婚し、やっと幸せをつかんだ……と思ったのもつかの間。今度は夫が無職になってしまったのです!

 そんなとき、ちょうど2代将軍徳川秀忠の子・家光が生まれ、乳母(母親がわりとして身分が高い人の子どもの世話をする女性)が募集されました。春日局は「夫がダメなら自分がかせぐ!」と採用試験にいどみ、見事合格。

 ところが、家光は病弱なうえに、かわいくもなく、正直人気はイマイチ……。そこに元気でかわいい弟の国松が生まれてしまい、家光はあと継ぎ候補から外されそうになってしまいます。

 でも、ハードな人生を生きぬいてきた春日局は強かった。なんと、絶対的権力をもつ家光の祖父・家康にこっそり会いに行き「次期将軍は家光」という約束をとりつけたのです。

 こうして家光は将軍となり、春日局は将軍様御局(将軍さまの総合プロデューサー)というラスボスポジションに大出世して生涯活躍しました。

「春日局」のここが“やばい”!
自分で作った門限を破り、野宿するはめになる

 春日局のがんばりにより、家光は3代将軍になりましたが、ひとつ問題がありました。ぜんぜん女性に興味がないどころか、むしろ男性のほうが好きだったのです。

 将軍のあと継ぎがいないと困るので、春日局は再びがんばります。ボーイッシュなお振という美少女に男の服を着せ、家光に近づけたのです。お振は無事に家光の心を射止めますが、長女を出産してすぐ亡くなってしまいます。

 これ以降、春日局は将軍好みの女性を次つぎにスカウトして集めていきました。これが「大奥」の基礎となったのです。

 さらに、「大奥には将軍以外の男は入れない」というおきてを定め、大奥にいる女性にランクをつけました。御台所(将軍の正妻。身分の高さが重視され、皇室か公家の姫から選ばれた) がトップで、次が側室たち、その下が世話係の奥女中です。

 身分の高い奥女中は当時の女性あこがれのエリート職で、ときには将軍に意見して政治を動かすことさえありました。春日局は、その奥女中の頂点に君臨したのです。

 ところがある日、春日局が「午後6時以降は絶対門を出入りさせない」という、自分で作った門限におくれてしまうという事件が発生。

 日ごろみんなにきびしくルールを守らせていたため、春日局とて特別扱いはされません。門番に「ルールですから……」と容赦なく閉め出され、寒いなか門の前で野宿するはめになりました。

春日局(1579年~1643年)
時代:江戸時代
身分:乳母(めのと)、将軍様御局(しょうぐんさまみつぼね)
出身地:兵庫
本名:斉藤福
大奥の女帝となった徳川家光の乳母。徳川家康に働きかけて家光を将軍に押しあげ、自身も絶大な権力を手にした。春日局によって夫や子ども、親戚まで出世した。義理の孫にあたる 掘田正盛も出世したが、家光の死後、あとを追って亡くなった。

(本原稿は、東京大学史料編纂所教授 本郷和人監修『東大教授がおしえる やばい日本史』の内容を編集して掲載しています)