「1秒単位」で消費者の心が離れていく時代。だからこそ、PR動画もプレゼンも文章も、「1秒でつかみ、1秒も飽きさせない」ことが、売上に直結する。
『家、ついて行ってイイですか?』の仕掛け人で、テレビ東京制作局ディレクターの高橋弘樹氏が、1秒で「惹きつけて」、途中1秒も「飽きさせず」、1秒も「ムダじゃなかった」と思ってもらえるコンテンツの作り方全思考・全技術を明かした新刊『1秒でつかむ「見たことないおもしろさ」で最後まで飽きさせない32の技術』が、発売前から注目を集めている。
本記事では、「時間がない」と嘆く人に向けた、究極の時間術を紹介します(構成:編集部・今野良介)。
まずは図にしよう
最強の時間術をお伝えします。
拙著『1秒でつかむ』の中でぼくは、「人の1.5倍だけがんばること」が、「1秒でつかみ、1秒も飽きさせないコンテンツ作り」の基本スキルだと述べています。
では、そもそも、1.5倍だけ頑張るために、どれくらいの時間が必要でしょうか。簡単に試算してみます。
そもそも、社会人にはルーティンワークがあります。普通の人がより深く何かのスキルを磨くのに使える時間なんて、1日に1時間あるかないかだと思います。「頭の中で考えるだけ」も含めて、1日1時間とれれば御の字です。
と、いうことは、1日「1時間30分」考えられれば、普通の1.5倍となり、本来の意味で御の字だと言えます。
ちなみに、「御の字」、一般的には「まあいいだろう」くらいの意味で使われますが、本来は「最高だ」の意味です。テレビ業界には「ナレーター」という方たちがいて、間違った日本語のナレーション原稿を書くと、怒り出す古参のナレーターさんもいます。
こういう人、テレビ以外の業界でも、けっこういるのではないでしょうか。なので、社会人になったばかりの方なら、まずはひたすら「国語力」、テレビなら「ナレーション力」を磨くのに1.5倍の時間を費やすのもいいかもしれません。
さて、どうやって「30分」を捻出すればいいのでしょうか?
睡眠時間を8時間として、起きている時間を16時間と仮定し、その16時間の内訳を、ざっくりと単純化・平均化して、このようにしてみます。
・仕事のスキル磨き 1時間
・食事 2時間
・プライベート 2時間
・必要な家事・身の回りのこと 1時間
・通勤時間(往復・ドアtoドア) 2時間
「仕事のスキル磨き」の1時間を1.5倍にするなら、このバランスを少し崩して、どこかから30分捻出すればいいわけです。ちなみに、図にするとバランスを崩しやすくなるので、自分の生活の時間配分を、一度図にしてみることを強くおすすめします。
ぼくが若い頃に選んだのは、「通勤時間」でした。
ADとして働いていた頃は、本当に時間がありませんでした。働き方改革が叫ばれている現在ではありえないのですが、入社1年目の時、4月のゴールデンウィーク前に制作局に配属され、ゴールデンウィークが皆無なのに落胆するのは序の口。夏休みも皆無で絶望。4月から初めて休みがとれたのが11月の下旬でした。
全社的にそうだったわけではなく、配属された『月曜エンタぁテイメント』という番組が、毎週2時間という当時としては異例の、いまでもあまり見ないハードな枠だったことにもよります。簡単にいうと、1時間番組の2倍の仕事が毎週あるのです。収録も、ふつうの1時間番組は隔週に1日(1時間×2=2本取り)です。しかしこの番組は2時間番組なので、1日で2本は撮りきれず、隔週2日(2時間番組を、隔週の水曜・木曜に1本ずつ撮影)でした。
2週に1度、月曜、火曜、水曜は、収録準備で確実に会社で徹夜。
木曜の収録が終わると、とりあえず記憶がなくて金曜の朝。
2時間番組ですから、編集にも時間がかかります。金土日などは、日の光が一切入らない編集所で、ひたすら雑用係として徹夜することが多かったのです。
その後も、『TVチャンピオン』という1時間30分番組に配属されました。会社から、「こいつなら大丈夫そうだ」と思われたのか、悪意があるんじゃないかと思うほど長尺の番組ばかりにつかされました。
でも、それはラッキーでした。その体験から、「なんとか自分で時間のバランスを崩して時間を捻出しないと、一生、先に進めない」という切実な思いを得たからです。
そこで、崩したのが「通勤時間」です。ADの最後のほうからディレクターになりかけの頃、会社から徒歩5分、神谷町のド真ん中に住むことにしたのです。
しかし、港区で、アメリカ大使館がドカンと居座り、東京タワーの間近という東京を象徴するような一等地ですから、普通に考えれば家賃はバカ高いに決まっています。そこで使えるスキルが、本書3項目めの「ネガティブLOVE」力。これは仕事だけでなく、「家探し」にも使えます。
そしたら、あったんです。神谷町駅すぐ近くの超一等地に、一戸建ての2Kで、家賃8万円という奇跡の物件が。その家は、ちょっとした山の上にあったのですが、家の途中まで昇りエスカレーター付き。エスカレーターから後ろを振り返れば、ド迫力の東京タワービュー。そしてエスカレーターで上った先は、下界と隔絶された静けさ。自分の理想としていた「市中の山居」ともいうべき物件が。
「市中の山居」とは、茶の湯の世界で理想の住まいとされる概念で、「都会にいながら自然の中に暮らしているような気分を味わえる物件」という意味です。都会の中での田舎暮らし。都会の便利さと田舎の静けさが味わえる最強の概念です。
仕事で1日10時間以上モニターを見ているような生活だったので、とにかく、田舎の風情に憧れていました。現代社会で、「市中の山居」を実現しようと思えば、普通に考えると金持ちがバカでかい一軒家を建てるとかしかないんですが、まさかの8万円で、そんな奇跡の物件があったんです。
その理想郷は、「墓の隣」にありました。
当時のテレ東の最寄駅である神谷町には都内で一番標高が高い愛宕山があり、山上には寺があり、お墓もたくさんあるのですが、墓地の壁一枚隔てた隣の家こそが、まさにリアル「市中の山居」だったのです。
超都会なのに、標高が高い上に、隣が墓なので最高に静かで、自然も豊か。車が走るのははるか山の麓。都会の雑音は皆無。秋になれば鈴虫の鳴く音が存分に楽しめる。冬になり雪が降れば、山の上で家の周りは地面が土なので、すぐに積もる。シンとした信じられない静けさに包まれます。
春や夏は、風呂に窓がついていたので、それを開けて入ります。帰りが朝方になることもしばしばだったので、眠る前にひとっ風呂あびていると、朝6時に静寂を切って近くの寺の鐘がなる。港区のど真ん中なのに、完全に田舎暮らしです。
それでも、家から1~2分歩いて、山の麓に降りる階段まで行けば、そこからはドカーンと大迫力の東京タワー。これで2K、風呂トイレ別で家賃8万円。破格すぎる値段でした。
「墓の隣」という普通はネガティブな条件を、「静けさ」という魅力と捉えるだけで、こんな立派な「市中の山居」暮らしが楽しめるのです。
たしかに、はじめは夜怖すぎて、家にひとりでいるのが落ち着きませんでした。しかし、次第にこの「おどろおどろしさ」を楽しむ「プレイ」もだんだん編み出していきました。当時は深夜に帰宅することが多かったのですが、大好きなお酒を飲みながら、『聊斎志異(りょうさいしい)』という本を読む快楽を覚えたのです。『聊斎志異』は、中国の古典で、お墓の下から出てくる鬼と、現世の人々が交わったりするといった類の奇譚をたくさん集めた、清代中国版『世にも奇妙な物語』ともいうべき短編小説集です。墓と壁を一枚隔てた部屋でこれを読むと感度が高まり、ゾクゾクするぐらい身近に感じられるので最高でした。
さて、これで会社までの通勤時間がドアtoドアで5分になりました。
通勤に片道1時間かけている人に比べて、1日2時間近くも多く仕事のスキル磨きができます(図2)。
ディレクターの駆け出しの頃は休みが少なく、休日も都心に出ることが多かったので、単純計算すると1年で730時間。2年なら1460時間。1日1時間仕事だとすると、丸6ヵ月分も多く仕事のスキル磨きに時間を費やせる。
つまり、1年が15ヵ月になる。2年が30ヵ月になる。
ここで、差がつかないわけがありません。「墓の隣」という、一見ネガティブな場所の魅力を発見できさえすれば、2年で6ヵ月分もの仕事スキル習得の差がつくのです。
東京R不動産という、独自の目線で不動産の魅力を描きだすセレクト不動産サイトで昔、「墓ビュー」という言葉を見たことがあります。都会において、墓の近くは必ず抜けのいい「絶景」。それでいて安い。「安くて絶景に住める魅力的な場所」だとして、肯定的に紹介していたのです。
ぼくが得たのは、「絶景」というより、「静けさ」と「田舎風情」と「2年で6ヵ月という時間的アドバンテージ」でしたが、まさにこの考え方に近いものがあります。
この東京R不動産というサイト自体がまさに、普通の物件選びではネガティブに思われている価値の、隠れた魅力を提示してくれているので、見るだけで、「ネガティブLOVE」力を養う訓練になると思います。本書第3項の「ネガティブLOVE」力と第4項の「バランス崩壊力」を応用することで、1.5倍どころか3倍近い時間を捻出できました。
もちろん、もしあなたが家を購入してしまっていたら、転居は難しいかもしれません。しかし、たとえば、通勤電車に乗っている間に何をするかを考えるだけで、永遠に差が開き続けます。
会社近くではなくても、たとえば、始発駅やターミナル駅の近くに住めば、通勤電車の中を「座って読書する時間」に充てることができます。
自分の生活の時間配分を見つめて「バランスを崩壊」させる。そして、もしそれに伴うネガティブな条件がありそうなら、それすら「プレイ」として楽しむことで、「おもしろいものを生み出す時間」をより多く確保できるのです。
冒頭で、「国語力」に時間を割くのもいいのではないか、と述べました。ぼくは若い頃、ひたすらかっこいいと思ういくつかの番組の「ナレーション書き起こしプレイ」をしていました。言葉は、文字に起こすと体にしみ込ませるように吸収できます。いまでも諳んじられるナレーションがいくつかありますが、そうした技術は、思わぬところで役立ちます。
『ジョージ・ポットマンの平成史』という番組は、ひたすらナレーションにこだわった番組でした。「人妻史」「ラブドール史」のように、一見とてつもなく下世話と思われる内容を扱っていましたが、そこに格調高い硬派なドキュメンタリー調のナレーションをあてることで、「下世話×品格」という強烈な違和感を生み出すことを演出のキモにしていました。
このように、こっそり1.5倍だけ頑張って獲得した技術は、いつか自分の仕事を他と差別化する際の、強力な武器になる時がきます。