現場との
乖離が広がってきた

 石原社長の後を受けた久米社長時代に、バブル景気による高級車ブーム「シーマ現象」で一時的に盛り返したものの、辻社長となってから日産の国内工場の象徴的存在だった座間工場を閉鎖に踏み切った。続く塙社長は、仏ルノーとの資本提携を行い、ルノー傘下となった。

 辻・塙体制は、いわば「敗戦処理」だった。

 ちなみに、現在の西川日産社長は、座間工場閉鎖という苦渋の決断をした当時の辻社長の秘書を務めており、厳しい経営を強いられていた社長を身近に見る経験をしている。

 ルノー傘下に入った日産がカルロス・ゴーン体制によってV字回復を果たしたことは誰しも認めるところである。「ルノーのためでなく、日産のために来た」と言い切って生産や販売現場を精力的に回っていたころのゴーン氏は、プロの経営者としての姿であった。

 ゴーン氏も当初は、生産現場や販売現場に頻繁に足を向けていたが、政権が長期化するほど生産・販売現場と経営の距離が広がった。

 しかも、日産の社長とルノー会長兼CEOになってからは、世界を飛び回る国際アライアンス連合の経営者としての姿に変わり、日本に訪れるのは月に1週間ほど。さらに三菱自動車の会長も兼ねるようになって日産にいるのは、月に2~3日ほどになったという。

 これでは、ますます現場との乖離が大きくなる。