国益に反しなければ
特捜を動かすのは難しい

 そんななか、心ある役員と弁護士は、策を練り、社長の追い落としを計画する。当時彼らが方法として考えたのは以下の3つである。

1.証拠を集め、司直の手に委ねる

 検察が動いて逮捕、起訴するような事態になれば、それを契機に社長を解任することができるだろうという考えである。しかし、敵もさるもの。簡単に証拠は残さない。肝心なところは部下の名を使い、自分はタッチしていなかったかのような形をとる。問題のある取引は、海外を中心に一部の少数の腹心の社員などを使い、きわめて隠密裏に行われている。さらには有名企業とはいえ、しょせんは一営利企業のことだから、検察もそう簡単に動かない(実際に、東京地検特捜部にアプローチをしたが、「国益を損なう」ほどではないと判断されたのか、関心は持たれたものの、動いてくれなかった)。

2.少数株主主権による取締役解任の請求

 これには不正行為の証拠が必要だ。しかし1と同じ理由で実際には証拠入手は難しい。

3.取締役会において、代表取締役と社長の職を解任し、何の権限も与えない

 違法行為の有無にかかわらず、これならいつでもできる。いわゆるクーデターである。

 そして3しかないという話になった。シナリオを作り、皆で練習して取締役会に臨んだ。解任提案に対して考えうるあらゆる反応、暴挙、妨害に備えて、幾重にも厳重な作戦だった。また事前にマスコミが嗅ぎつけてあわや計画が岡田に露呈しかけるという一幕もあった。そして、その提案の瞬間は、前出の本『解任』で、このように描かれている。

〈昭和57年9月22日午前11時25分、取締役会の席上、突如杉田専務取締役から「岡田社長の社長と代表取締役の解任を提案いたします。賛成の方はご起立を願います」との提案が上程された。岡田社長を除く全取締役は、ただちに、「賛成!」の掛け声と共に一斉に起立した。この瞬間、十年間にわたって権勢をほしいままにした梟雄岡田茂もついにその座を追われたのである。〉

 解任されたときの岡田社長は「なぜだ」と言い、この年、「なぜだ」という言葉が大流行したという。

 その後岡田氏と、愛人竹久氏は罪を問われた。

 岡田氏は約19億円の特別背任罪で起訴され、懲役3年6ヵ月の実刑判決が下った。上告中に本人が死去して、公訴棄却。

 竹久氏も特別背任の共犯、ならびに所得税法違反で起訴され、最高裁まで争ったが、懲役2年6月、罰金6000万円の実刑判決が確定し、栃木刑務所で1年6ヵ月服役ののち病死した。