ビジネスの成否は「交渉力」にかかっている。アメリカの雑誌で「世界で最も恐れられる法律事務所」に4度も選ばれた法律事務所の東京オフィス代表であるライアン・ゴールドスティン米国弁護士に、『交渉の武器』(ダイヤモンド社)という書籍にまとめていただいた。本連載では、書籍から抜粋しながら、アップルvsサムスン訴訟を手がけるなど、世界的に注目を集めるビジネスの最前線で戦っているライアン弁護士の交渉の「奥義」を公開する。

「事実」は「論理」に勝る

 交渉の議論のベースとなるのは「事実」である。
 どんなに論理的な主張を行っても、その根拠となる事実に誤認があれば、いとも簡単に一蹴される。あるいは、理屈のとおった主張であっても、それを覆す事実を指摘されれば、その瞬間に理屈は崩れる。私たちにパワーを与えてくれるのは、論理や理屈ではなく「事実」。「事実」こそが最強の武器なのだ。

 先日も、ちょっとしたことで、そのことを改めて思い知らされた。
 ある会員制バーに行ったときのことだ。お店に入って、窓際のテーブルに座ろうとすると、店員が近寄ってきて「お客様、困ります」と言う。その日、私は襟なしのシャツを着ていたのだが、それがお店のドレスコードに反するというのだ。

 しかし、たしかに襟なしのシャツを着てはいるが、きちんとしたジャケットを着用しているため、お店の雰囲気を壊している服装とは思えなかった。そこで、「ドレスコードに反しているとは知らなかった。今後は気をつけるから、今日は認めてもらえないだろうか?」と丁寧に伝えた。

 ところが、店員は、「ドレスコードはルールであり、ルールには従ってもらわなければならない」と取りつく島もない。少々、不愉快な思いをした私は、何気なく店内を見渡した。そして、あるものが目に入った。10mほど離れたテーブルに座っている女性が襟なしのシャツを着ていたのだ。

 そこで、店員に「あそこの女性は襟なしのシャツだが?」と聞くと、「え?」と驚いた表情で、その女性を確認。バツの悪そうな表情を浮かべた。しかし、彼は、なおも「ドレスコードで女性の襟なしは認められている」と主張した。

 私は、彼の表情を見て、嘘だと直感。「ほんとかな?」と揺さぶりをかけたうえで、「たとえ、ドレスコードでそう決まっているとしても、なぜ、男女で区別があるのか? それはそれで問題では?」と追い打ちをかけた。ここで彼は折れた。次回以降は襟なしシャツは遠慮してほしいと伝えたうえで、「どうぞ、おかけください」と私に椅子をすすめたのだ。

 彼は、ドレスコードというルールを根拠に自分の主張を展開したのだが、そのルールと矛盾する「事実」=「襟なしシャツを着ている女性客」を突きつけられることで、その主張を取り下げざるをえなくなったのだ。些細なエピソードだが、「事実」の強さを改めて実感する出来事ではあった。