客引き老女は「売春島」の華やかな過去を語る
せわしく島と本州を往復していた渡し船も23時台の便を最後に寝静まり、日付も変わりしばらくした頃。島の「メインストリート」の端に腰掛けながら、30年以上島で暮らし、こうして毎晩客引きをしてきたという70~80代であろう客引き女性のつぶやきをぼんやりと聞いていた。
「私らが働きだした昭和40年、50年頃っていうのは、この島にも100人以上女のコがいたんよ。今くらいの時間になっても、“お泊り”を取り損ねたコたちが『まだお客がいるんじゃないか』とここら辺をふらふらしていた。年中、団体客が大挙してきてねぇ。昨日は九州の農協だ、今日は大阪の土建屋だって。宴会して、“お泊り”もして」
「女のコもいろんなところから働きに来てた。うちでも置屋やってて、今でも覚えている。まだ外人さんのコがいなかった時、19歳でいつも白い服をきたかわいい女のコがいてねぇ。たまに“お泊り”が無い時はこうしてたわいもない話をしていたんねぇ。『やっぱりあのお兄さん選んでくれへんかったわぁ』『明日はお客さんつくといいなぁ』って」
虚像と実像の歴史がつくりあげた「売春島」
中部・関西の風俗好きを中心に知られるその孤島は、明治以前から、外部から訪れる者のための宿、そして遊女の置屋で成り立つ「売春島」だ。
取材の下調べをする中で耳にした、島を巡ってささやかれる噂は様々だった。
「島のことを深く調べようとして10年以上行方不明になっているジャーナリストがいる」
「警察やマスコミが入島しようとすれば、一瞬にして島中に連絡が行き渡って、見つからない場所に遊女が隠される」
「島では観光客の会話は常に盗聴されており、写真撮影することすら許されない」
「宿に荷物を置いていたら、中身を調べられた形跡があった」
それが真実なのか、都市伝説に過ぎないのかはわからない。
少なくとも、「売春島」という響きに喚起され、島を訪れたことのない大多数の者たちによる想像。そして閉ざされた無法地帯としてのミステリアスさとのあいだで、肥大化した島の虚像ができあがっていることは確かだ。
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もしその「下世話な想像によって生まれた虚像」に私たちが翻弄されているのだとすれば、私たちはそれを乗り越えなければならない。その「下世話」の先にこそ、現代社会を見通す契機が眠っているからだ。