ハード面は8段目だけど…
気持ちの復興はまだ6段目

新田貞子(にった・ていこ)さんカフェのカウンターでのおしゃべりが貞子さんの元気の源だ

 貞子さんは発災当時、3階建ての自宅兼店舗の2階に、夫の正さん(しょうさん、2017年死去・享年81歳)といた。

「外に出ろ」という正さんの声に導かれ、通りに出て揺れが収まるまで必死に郵便ポストにつかまった。大津波警報が出され、しばらくして津波が押し寄せた。

 1階は天井まで水に漬かり、3階に避難した。車ごと流された女性が全身ずぶ濡れで避難してきたので家に入れた。1階の壁に別の車が突き刺さり、闇夜の中にクラクションが鳴り響く音と「助けて」という声が聞こえたが、どうにもできなかった。

 水が引いた後、正さんと2人でガスと水が確保できていた東松島市赤井の実家に約1ヵ月間身を寄せた。「商店街が大変な中で震災が起き、追い打ちをかけられたと思っていたの。その時はもうだめだと」。4月1日に半ば諦めた気持ちで家に戻ったところ、まちなかの様子はイメージと正反対の光景だった。地域の商店主らが心を一つにして立ち上がるその姿に「皆、本当にこの街が好きなんだ」と胸が熱くなった。泥だらけになって復旧作業に励むたくさんの仲間がいた。24歳で嫁いで40年以上。「ここにはたくさんの大切な家族がいる」と力をもらった。

 ボランティアの協力で建物の復旧を終えたのは11月。地域の若者から「1階部分を使わせてほしい」と相談を受けた。正さんは「ぜひ使ってほしい」と即答。貞子さんは「主人はまちなかで若い人たちが頑張っている姿を見るのが本当に好きでね。その後も『若い人に使ってもらえてうれしい』が、口癖だったの」と振り返る。

 震災から丸8年。正さんを一昨年に亡くした後、ぽっかり空いた心の穴を埋めてくれたのが、1階に整備されたカフェの若者たちだった。「私のことを『お母さん』『おばあちゃん』と慕ってくれるの。今もカフェに集う若い人たちに支えられているのよ」と目を細める。復興を10段の階段で表せば「ハード面は8段かもしれないけれど、私の気持ちはまだ6段」と貞子さん。震災の惨状がもたらした心の傷は、癒えることはない。その一方で「震災がたくさんの出会いを生んだのも確か。主人の遺影を撮ってくれたのは、震災後に移住した若い写真家。とっても素敵な笑顔だったのよ」と話す。

 昨年、貞子さんは75回目の誕生日を迎えたが、半世紀にわたり寄り添ってきた夫の姿はもうない。だがその日、周りには多くの若者の姿があり、笑顔で誕生日を祝ってくれた。「街並みは変わっても、震災の時のつながりはなくしてはならない。私も長生きし、何か力になれることがあれば役に立ちたい。たとえどんなに小さなことだとしてもね」。きょうも優しさとおせっかいで若者を見守り続ける。