験担ぎも前向きな願掛けから
いつの間にか変質してしまう

 日本人には験を担ぐ人が多いようにも思います。例えば、毎朝、最初の一歩は必ず左足から出す、ズボンやスリッパも左足から履くとか。昔、流行ったことですが、タバコの封を開けた時に、トントンと指で叩いて出てきた1本を抜き出して反対にしてもう一度入れ直し、その1本は必ず最後に吸うとか。

 私にもいくつか担ぐ験があります。ただ、それがどんなことかをあまり他人に言うべきではないと聞いたことがあるので、ここではその内容は述べないことにします。あ、これこそ験担ぎですね(苦笑)。

 とにもかくにも、なぜ験を担ぐのかについても考えてみました。

 それでわかったことがあります。験担ぎは若い時からそれなりにやっていたと思い出したのです。ただし若い時の験担ぎは、いいことが起こるようにといった、いわば「願掛け」でした。たぶん、何かを偶然した時に、いいことがあった。だからその何かを習慣化しようとしたのだと思います。それこそが「験担ぎ」の本来の意味だと思います。

 ところが、厄払いを意識し始めた頃から、私の験担ぎの意味も変わってきました。それまでは「具体的ないいことがあるように…」という願掛けだったものが、いつの間にか、「漠然と悪いことが起こらないように…」と願う習慣に変わっていたのです。

 お参りもそうですが、験担ぎも、決して悪いことではありません。それが負担にならず、気が休まるならば、それは続けるべきだと私は思います。

 ただ問題は、何事もそうですが、度を越してしまった時です。

 人間、不安感が強くなると、悪あがきを始めます。どんどん深みにはまって、いわゆる「ドツボにはまる」ことになっていきます。

 それはよくありません。精神状態をよくするための行動によって自分が拘束され、むしろ精神が苛まれていく結果になってしまいます。

イメージできれば、
その状態をマネージできる

 不安症候群のようなものに襲われてしまった時は、一般には認知行動療法がいいといわれます。別名、論理療法です。自分が不安に思うもの、その源泉は何なのかということを論理的に解明していく方法です。原因を具体的に突き止められれば、その原因を取り除けばいい。たとえ簡単に取り除けないとしても、どうすればリスクを減らしていけるのか、どう行動すればいいかがわかります。また、その結果、あり得る最悪の状況を考えて、その状況は回避できるようにすることもできるでしょう。