なぜ6案の中で一番ケチが
つきそうな元号を選んだのか

 そうなると、遅かれ早かれ、日本は外国人に対してあまりに冷たいのではという情報戦が仕掛けられる。「命令に笑って従え」という元号を掲げる国が、弱い立場の外国人にパワハラしてます、なんてニュースは、「ニューヨーク・タイムズ」あたりは嬉しそうに報じるはずだ。

 要するに、今の日本の状況や、取り巻く国際環境に鑑みると、「令」という文字を年号に使うことは政府批判、日本批判の材料になるのは目に見えていたはずだ、ということを申し上げたいのである。

 断っておくが、「令和」をディスるつもりは全くないし、安倍首相はヒトラーだとか、軍靴の音が聞こえるとか大騒ぎしたいわけでもない。「危機管理」ということを民間企業よりシビアに求められる日本政府が、これらのリスクに対してどこまで「想像力」を働かせていたのか、ということを指摘したいだけだ。

 左翼や安倍ガーはなんでも批判をする、というが、「万和」や「英弘」であれば、少なくとも今のような方向性の言いがかりはなかったはずだ。実際、前出・本郷教授も6つの最終案の中で「『令和』以外の5つはケチのつけようがない」(同上)と述べている。

 そこで気になるのは、なぜツッコミどころ満載の「令和」が選ばれたのかということだ。

 一番ありそうなのが、先ほど申し上げた「想像力の欠如」だ。筆者もこれまでこの仕事をしてきて感じるのは、高学歴で頭脳明晰、素晴らしいキャリアをお持ちの方も、自身の組織を客観的に見ることは、極めて難しいということだ。

 筆者のように組織外の人間が、「それは叩かれますよ」と提言をして、ようやく気づく。それまでは、自分たちが叩かれるとか、世間の反感を買うような対応をしているなど夢にも思わないことが多いのである。

 そのような意味では、政府の中枢で、日本を舵取りをする立派な方たちであっても、つい内部理論に囚われて、「令和」という元号が国民や世界にどういう印象を与えるのかというところまで、想像力を働かせることができなかった、という可能性はなくはない。