後閑:本当にそうですよね。
起きてしまったことに対して、あの時ああしておけばよかったですね、と医療者が言っても仕方がない。
平方:そうそう。
後閑:私は穏やかに着地したと思ったのですが、介護職や医療職のほうがご家族よりもすごく落ち込んでしまっていたんです。
平方:介護職も医療職も人の命の終わりを予想できるものだと思っていたら、それは大間違いだと思います。
私は「あとどれくらいですか」と言われた時、「予想がある程度はできるので、たとえば半月からひと月の間とは思いますけど、そういう予想って医者がいろんな経験とかデータに基づいて予想しても3割くらいしか当たらないんです」という話をします。
「できたら長いほうに外れてほしいけれど、短いほうに外れる可能性もあります」という話をして、半分冗談みたいな感じで、「予知能力があればわかるんですけれど、予知能力はないのでわかりません」とお話ししてます。
「わかる時にはお話しします、ただ本当に老衰のように亡くなっていく場合は何の予兆も変化もなく、スーッと息が続かなくなることがありますけども、そういう場合は最善の道をたどったから予想がつかなかったんだと思ってください」とあらかじめ言っておきます。
後閑:あらかじめ言っておくと、先生が言った通りだと納得できるかもしれませんね。
先日、緩和ケア医の西智弘先生と対談したんですけど、西先生もデータ的にはそろそろ限界だろうと思って2、3日中に亡くなる可能性があるとご家族に言っていました。そして、本人は前日まで自分でトイレに行ったりしていたのに、朝、家族が気づいたら息が止まっていたのです。
そこでご家族は、「最後まったく苦しまなかった。死ぬ前に苦しまないのはおかしい」となってしまったそうです。先生は苦しまないように治療してきたはずなのに、ご家族には死ぬ前は必ず苦しむものだという思い込みがあったようなんです。
平方:たとえば、努力呼吸をしたり、喘鳴が出たりといった死の前兆が老衰の前には出ないことがけっこう多いものです。
変化がなく自然に、本当に静かに命が終わるというのが最善なのだと世の中の人みんなが思ってくれるようになったらいいのですが。
後閑:ドラマの影響なのか、死ぬ前はみんな苦しんだり昏睡状態が続くと思っているのかなと感じることがあります。
平方:もう少し前だと、何か一言しゃべってコロッ、と亡くなるように思われていましたね。
後閑:ありましたね。
平方:ドラマの世界が現実だと思ってはいけない。
後閑:いろいろな最後があるということも知ってほしいです。
2.無理をしなければ、細く長くバランスよく生きれる
3.いろんな最期があり、人生はドラマとは違うと知っておく