細く長くバランスよく…
愛和病院(長野市)副院長
1990年山梨医科大学(現・山梨大学)医学部卒業。武蔵野赤十字病院、町立厚岸病院、自治医科大学血液内科を経て94年に諏訪中央病院(長野県茅野市)に着任。訪問を中心にがん患者に対する緩和ケアを開始し、98年7月、緩和ケア病棟の新設に合わせて緩和ケア担当医長に就任。著書に『看取りの技術 平方流 上手な最期の迎えさせ方』(日経BP社)、『医者とホンネでつきあって、明るく最期を迎える方法』(清流出版)、『がんにならない、負けない生き方』(サンマーク出版)などがある。
平方:今日在宅で診察してきた患者さんには以前、「頭が思っている食欲や頭が思っている自分の元気さなどが、実際に受け止めることのできる食事の量や身体の力とずれてしまっている」というお話をして、「頭で考えて食べないといけないと思って食べるのではなく、お腹すいた、これが食べたいと思った時に受け止められる量をちょっとずつゆっくり入れていったほうがいいですよ、というお話をしていました。
そして今日、その患者さんにお話ししたのが、若い時というのは高速道路ぐらいの道幅の道を走っているのと同じで、ご飯をちょっとくらい食べ過ぎても大丈夫なのですが、だんだんと生きる力の幅、つまり道幅が細くなって、多分今は畦道より細い平均台ぐらいの幅になっています。そこでバランスよく細く長く生きていくようになっているので、残っている時間はあまり長くないかもしれないけれど、少ない体力の中で一番いいバランスで生きているんじゃないかと思います。それが老衰だと思う、とお話ししたら、すごく嬉しそうにニコッとされたんです。
これでいいんだなって思ってもらえたら、それが一番いいんじゃないかな。
後閑:その説明はすごくわかりやすいですね。
「受け止められる量」と聞いて思い出したのが、少し前に亡くなった患者さんがまさに老衰でした。
1日にメイバランス(栄養食品)を1本、125cc、200kcalと少しの水しか取ってなかったんですけど、2ヵ月くらい頑張られたんです。
90代後半の患者さんで、がんなど大きな病気はないけれど、肺炎を繰り返していて、だんだん食事が減ってきていたので、ご家族にはこのまま老衰で亡くなるでしょうと説明もしていました。ですからそろそろだろうとは思っていました。
前日も飲んだりしゃべったりしていたのですが、朝、巡視に行ったら息を引き取ったあとだったのです。それに気づくことのできなかったことに医療者もショックを受けていましたし、家族も昨日までしゃべっていたのに、と驚いていました。
でも、まったく苦しまず眠るように亡くなったというのは老衰であり、本人にとってはベストだったんじゃないかと思うんです。
平方:そこまでいくと、さっきの道のたとえでいうと、なんとかバランスよく歩いていたけれど、最後はもうミリ単位の道だったのが最後は0ミリになって命が続かなくなった、体力をグラフのように表すと、もうギリギリの超低空飛行しているところで、命が終わるような特別な出来事が何も起きなくても、すーっと着陸したという状態なんじゃないかな。
後閑:その患者さんは私が最期に立ち会ったのですが、ご家族は「本当におじいちゃんは頑張ってくれた、医者に言われた余命宣告を越えてだいぶ長く頑張ったし、苦しまなくてよかった」と言ってくれました。
けれど、医療者や介護職のほうでは「もっと早く気づくことができたら、何かできたんじゃないか。もっと早く変化に気づいていたら、ご家族を最期に立ち会わせてあげられたんじゃないか」という声もありました。
人生はドラマとは違う
平方:それが本当に老衰という時には、予測するのは無理です。
予測するのが無理な理由は、下がっていっているのか下がっていっていないのかがわからないぐらいのゆっくりした下がり方だと、変化はないので気づくのは無理です。
下がる傾斜が急だと、この辺りで命が続かなくなるなというのがわかります。
また、ある程度、波があるケースもあります。その波の谷底が限界ゾーンに触れると命が続かなくなるのですが、谷底を乗り越えると次の谷底までは大丈夫ですし、次の谷がいつ来るかもわかりません。次も乗り越えられるのか、限界が来るのかもわかりません。
そして、下がっていく時の、どこまでがその人の限界なのかというのも人によって違います。
その限界のラインは誰にもわかりません。なので、そこで医療従事者や介護従事者がすべきなのは、これでよかったんだとご家族に思ってもらうことだと思います。