ところが、ここ数年、中国では経済的な成長と比例するように、人としての成長を求める動きがあり、その基盤となる古典ブームが巻き起こっている。

“本家”としての自覚に目覚めつつあると感じるのだ。

『日本の「中国人」社会』(日本経済新聞出版社)、著者:中島恵、新書:232ページ
『日本の「中国人」社会』(日本経済新聞出版社)、著者:中島恵、新書:232ページ

 北京や上海にある大手の書店に行けば、「老子」「孟子」「論語」などの本が、大人向けから子ども向けまでズラリと売られており、私の知人の子どもが通う幼稚園では「弟子規」の内容を歌にして園児に歌わせている。中学や高校では、以前は「語文」(日本でいう国語のこと)の授業の一部でしか漢詩などは扱わなかったが、近年では「古典」という科目を教えている学校もある。

 テレビでも、大学教授が中国の古典をわかりやすく解説する番組「百家講壇」があるし、1人が漢詩の前半を暗唱し、もう1人がその漢詩の後半を暗唱する、2人1組で参加するクイズ形式の番組「詩詞大会」もとても人気がある。私もこれらの番組を中国で何度か見たことがあるが、幼い子どもが、突然出題された難解な漢詩をそらんじている姿に感動を覚えたものだった。

“本家”としての
自意識や知的好奇心

 今回の日本の新元号発表は、彼らに、“本家”としての自意識や、知的好奇心のようなものを呼び起こさせたような気がする。だからこそ、4月1日の中国のSNSはあれほど盛り上がりを見せ、来る5月1日にも注目しているのではないだろうか?

 京都を旅行した中国人観光客の中には、「ここはまるで昔の長安の都のようだ」と感じる人が少なくないと聞くが、彼らがそんなふうに感じる「心のふるさと」が、もしかしたら日本には数多く残っているのかもしれない。