「接待汚職」の大蔵省は
「お家大事」を優先

 バブルの当時、大蔵省はどうしていたのか。大蔵省のバブル対応はまともだったと考えている。

 異常な株価や地価の上昇は、税制などの法規制の抜け穴があって、それを利用した銀行・証券会社の異常な経営姿勢が原因だったことは、筆者も自分の行政経験からそう思っている。

 当時の大蔵省は銀行や証券会社の経営姿勢を正す指導を行っており、正しい行政だったと思う。

 だが一方で、バブル崩壊後は、大蔵省は巨額の不良債権を抱えた金融機関の救済や、大蔵省自らの不祥事対応で手一杯だったので、とても日銀の政策を考えている余裕はなかったのではないか。

 多くの金融機関の経営が破綻する戦後初めての金融危機という未曽有の事態になり、救済や不良債権処理のために税金投入が不可避になったが、それとともに、金融機関と大蔵省との癒着も社会問題になった。

 その一例が、98年の「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」だ。

 大蔵省官僚らが金融機関から、こうした低俗な接待まで受けていたことが発覚した。護送船団行政のもとで、金融機関への規制や権限を背景に、官僚の世界が腐敗していたことを示す象徴的な出来事と言えるだろう。

 社会からの批判が強まり、大蔵省は財政部門と金融行政部門を分離させられるという、省始まって以来の「危機」を迎えた。

 その状況では、大蔵省は「お家」が一番大事であり、バブル崩壊後の日本経済のことを考えている余裕はなかったのだろう。

97年4月の消費増税は間違い
経済の実態を考えず

 その後、日本は、90年代半ばからいわゆるデフレ経済に陥った。

 日銀はバブルつぶしの性急な金融引き締めの間違いを自覚しないまま、金融引き締めは継続された。

 名目金利は低水準だったので、金融引き締めを多くの人が意識しなかったのだが、インフレ率がマイナスになることは、古今東西を見渡しても例がほぼ皆無である。

 インフレ率がマイナスなので、名目金利は低くても実質金利は高く、経済成長は望めない状態だった。

 そういう状況の時に、大蔵省がとんでもない間違いをしたのが、1997年4月の税率3%から5%への消費増税だ。