「カネ儲け」ってそういうことだったのか!

 紆余曲折を経てやっぱりカネとは距離を置いてきた私ですが、2000年に入った頃にある一冊の本を読んで、コペルニクス的転回とでもいうべき体験をしました。

 それは、慶應義塾大学教授の竹中平蔵氏とクリエイターの佐藤雅彦氏による対談集『経済ってそういうことだったのか会議』という本。難しいと敬遠されがちだった経済をポップな視点で解き明かす、今までにない本として話題を呼びました。そのなかで、竹中氏が次の言葉を繰り返し口にしていたのです。

「お金儲けとはクリエイティブなこと」

 カネ儲けを肯定するのに、こんな方法があったのか! 竹中氏の言葉を目にした時の衝撃はものすごいものでした。まさに目からウロコ。だって、竹中氏は「カネ儲けは何らうしろめたいことじゃない、もちろん、カネの話をするのもはしたないことじゃない」と断言してくれたのですから。

 こうした価値観は竹中氏独特のものではなく、特にアメリカでは一般的に受け入れられているようです。

 たとえば、最近エリート学生の間でビジネス・スクールに代わって人気の「デザイン・スクール」。デザインといっても美術を学ぶのではなく、イノベーションのための問題解決能力を養うことを目的にしているようです。そこには優秀な学生たちが世界中から集まってきて、毎日、まさに斬新でクリエイティブな手法で議論を繰り広げています。他にも、イノベーターや起業家の養成機関としての大学は以前からいくつもあるでしょう。

 頭が抜群にキレて、これまで誰も思いつかなかったようなアイデアを生み出す若者たちの能力を存分に開花させる。それ自体はすばらしいことだと思うのですが、一つだけ、引っかかる点があるのです。

 それは、喧々諤々かわされる議論のゴールがすべからく「利益の最大化」に向けられていること。つまり知恵を絞っておカネを一番多く稼ぐ方法を見つけた者が勝ち、という判断基準に基づいている。

 なぜ、そうなってしまうのでしょう? クリエイティブな能力の持ち主なら「私は最低限の利益しかあげられなくても、世界から貧困をなくす一番いい方法を見つけるの」「僕は最低限のカネで回っていく社会を設計するぞ」というふうな、ある意味本当に自由な発想をしてもよさそうなものです。ところが、そうはなっていない。世界有数のイノベーティブでクリエイティブなエリート大学でも、カネ儲けこそが最終ゴールだと明言しているわけです。はたして、それでいいのしょうか?