千鶴子さんはヒステリックに怒り出した。目は三角につり上がり、聞く耳は持たず、ただただ大声で怒鳴り散らす。もはや話し合いなど不可能だった。

(あいつ、一体どうなっちゃったんだ。前はあんなじゃなかったのに)

 手が付けられない様子の千鶴子さんに、淳司さんは戸惑い、恐怖を覚えた。

 以降、千鶴子さんの奇行はどんどんエスカレートしていった。結婚前は看護師で、とても気が付く優しい女性だったのだが、まるで変わってしまったのだ。

 異常に怒りっぽく、いったん怒り出すとなかなか収まらない。まるで乳幼児のように本能的で、自己中心的に振る舞う。目の前にお菓子があると、子どもに与えたものでも手を出し、むしゃむしゃ食べてしまう。「やめなよ」と止めると、「どうしてよ」ととんでもない大声で抗議し、モノを投げつけ、駄々をこねる。身だしなみに気をつかわなくなり、部屋も散らかるようになった。

 なぜ、そんなことになったのか。自分に非があるなら直すからと、淳司さんはなんとか千鶴子さんと話し合い、元の彼女に戻ってもらおうとした。だがダメだった。

 子どももいるので別れたくなかったが、もう一緒に暮らすのは限界と感じた淳司さんは1年前に家を出た。娘のために養育費は入れているが、千鶴子さんに渡すとその日のうちにすべて使い果たすこともあるので、同居している義母に渡す。

「被告はピック病」
万引きは病気のせいだった

 娘が言った通り、千鶴子さんの万引きは初めてではなかった。近所のさまざまな店でやっていた。無銭飲食の被害をほのめかす店もあった。知らなかったのは家族だけ。近所の人たちは皆、千鶴子さんの被害者だった。

 しかも悪事を見とがめられると彼女は「ちょっと借りただけ」「だって財布忘れちゃったから」など、身勝手な言い訳を展開し、まるで反省している様子がなかったという。

 かくして、千鶴子さんは起訴され、裁判を傍聴した淳司さんは、そこで初めて、千鶴子さんの病気を知った。

「精神鑑定の結果、被告は認知症の一種である前頭側頭型認知症を患っていることが判明しました。この病気は、別名『ピック病』と呼ばれており、人格や性格が激変してしまうことが特徴です。被告は41歳から発症しており、犯罪行為を行ったのも、反省の態度が見られないのも、すべては病気による倫理機能の低下によるものです」

 弁護士の言葉は、目からうろこだった。

(そうか、千鶴子は病気だったのか。だから急に、人が変わったようになったんだ。こうなる前に、病院に連れて行っていれば、こんなことにはならなかったんだな。千鶴子にも娘にも、近所のみんなにも悪いことをしてしまった。考えてみれば、あの優しかった彼女が、いきなり変わるなんて、おかしなことだ。奇行はすべて、病気のせいだったんだ。気づいてやれなかった俺の責任だ)