私大の雄である早稲田大学に半世紀ぶりの政治経済学部出身総長が誕生する。保守的だった政経の改革を断行した張本人であり、異例の“非純血”。総長就任後も「ラブ治、半端ないって」と世に言わしめるのか。

田中愛治早稲田大学総長たなか・あいじ/1975年早稲田大学政治経済学部卒業、81年米オハイオ州立大学大学院政治学研究科・修士博士コース修了、85年博士号取得、98年早大教授、2010年理事、14年よりグローバルエデュケーションセンター所長。政治学博士。 Photo by Masato Kato

──50代前後の世代は学生時代、早稲田が私立大学のトップだと認識してきました。しかし、今の世間の評価は“早慶”が逆転し、“慶早”になっています。

 現実には、この20年間ですね。1994年ごろから、早慶の偏差値が逆転したと認識しています。この20年は慶應の方が、人気があると世の中は見ている。確かにその通りです。

 その前は早稲田の方がレベルは高かった。早稲田と慶應の両方に受かれば、受験生は早稲田を選ぶという時代でした。

──逆転された原因は何でしょう。

 一つは、やっていることを世間に見せるのが下手だった。要はおごりがありました。

 私立で偏差値が1番だから、黙っていても学生は来ると思っていたのでしょう。教育内容にもおごりがあった。個々の教員が良い研究をしていれば、学生には分かってもらえる。学生は教授の背中を見てついてくればいい。昔の古き良き日本の高等教育の伝統みたいなものにしがみついて、それで認められるんだというおごりがあった。

 60年代から90年代の初頭までの約30年間、早稲田は慶應より偏差値が高かった。その間、慶應の先生たちは、いかにして早稲田を追い抜くかというタスクフォースをつくって研究していたと聞いています。十数年間の成果が94年くらいに表れた。SFC(湘南藤沢キャンパス)の開設なんて、まさにそうです。慶應は長いタイムスパンの戦略性を持っていた。ここは早稲田も見習うべきところです。

 ただし、学問別の分野の世界ランキングでいえば、慶應より早稲田の方が上です(次ページ表参照)。国際的な戦略を持って、グローバルな大学へと具体的なステップを踏んでいるのはわれわれ早稲田です。