「ラブ治(ジ)半端ないって」。
6月の早稲田大学総長選挙で下馬評を覆して決選投票に残ると、学生がサッカーのワールドカップではやったフレーズをもじりTwitterでつぶやくと、「あざーす。知力と体力はすごくあるので、頑張りまーす」とラブ治は返した。
ラブ治こと田中愛治は、11月に早稲田大学17代総長に就任する。早稲田の政治経済学部を卒業後、米国オハイオ州立大学の大学院で研究者としての修業を積んだ。
日本に戻ってからは複数の大学で教員を務め、1989~94年に勤めた東洋英和女学院大学時代に「LOVE治」(以下、ラブ治)の愛称で呼ばれるようになった。
投票行動や世論研究を専門とするラブ治は、大衆や若者の声に敏感だ。穏やかな生来の人柄も手伝って、若い学生たちから支持を得てきた。
そんなラブ治が政経学部教授として23年ぶりに母校に帰ってきた98年当時、早稲田の偏差値、世間の評価は“早慶”から“慶早”に逆転していた。看板学部である政経もまたしかりである。
いったい何が起こったのか。ラブ治の目に映った政経には、何も起きていなかった。自身が学生だったころから、何も変わっていなかったのである。