金融庁が年金などの限界を認め、「老後の資金として2000万円が必要」であると国民の自助努力を呼びかける文書を公表し、話題となっている。しかし、内容は多くの識者が繰り返し述べてきたことばかりで、いわば「当然」である。(久留米大学商学部教授 塚崎公義)
人生70年時代にできた制度を
人生100年時代に守れるはずがない
現在の年金制度の原型ができたのは高度成長期の前半、平均寿命が70歳に満たなかった頃であった。定年が55歳であったから、老後は短かったわけだ。
それが、人生100年時代を迎えようとしているのだから、当時の年金制度を維持できるはずがない。
これまでも年金の受給開始年齢が引き上げられたり、年金保険料が値上げされたり、年金受給額が減額されたり、様々な「年金制度の改悪」がなされてきた。今後も「改悪」が行われるだろうが、それは政府が悪いのではない。
日本人が長生きするようになってしまったから、年金財政が悪化しているのだ。筆者は冗談で「恨むなら政府ではなく、人々が長生きできるような薬を発明してしまった医者を恨め」と言っているが、冗談はともかくとして、まずは腹を立てる前に、皆が長生きできるようになったことを素直に喜ぼう。
人生の半分は働くのが当然
「波平さんより元気なら働く」
高度経済成長期に農村から都会へ働きに出てきた「金の卵」たちは、15歳から55歳まで40年間働いた。人生の過半は働いていたわけである。それならば、人生100年時代の若者は、20歳から70歳までの50年間働くのが当然であろう。
個々人の人生設計においても、「人生の半分以下しか働かないで、死ぬまで豊かに暮らす」ことができるとも思えないし、日本経済全体を考えても「国民の半分以下しか働いていない」状態では経済が回らない。
「60歳で引退して65歳までに退職金を使い果たし、65歳から年金を受け取るけれども、年金では生活費が不足する」という発想を根本的に変えればいいのだ。