第一内科と第二内科の呼吸器チームが合併したことで生じた現場のばらつきを整理して、治療を標準化してほしいとの要請を受けたのだ。

「現場を分析して、最適な治療法を洗い出し、全体で共有してほしいという依頼でした。今の自分には、臨床でしか貢献できないと思い、がんばりました」

 すると今度は、「安全管理部の初代の専従医師になってみないか」との打診が来る。

「決して、自分から名乗りを上げたわけではないのですが、当時の医局の先輩が、私の関心を察してくださったのか、『面白い若手がいる』と医療安全担当副病院長に推薦してくれたようです。私は覚悟を決めて、医療安全の勉強を始めました」

 しかし、一度は教授会で承認されたこの人事も、残念ながら、所属する呼吸器内科の事情が許さず、流れてしまう。

「『医療安全は医師の仕事ではない』という認識が当たり前の時代でしたからね。結局、診療科から病院長に断りが入り、この話はほかに回って行きました」

 だが、動きだした歯車は止まらなかった。

 研修先だった土岐市立総合病院の呼吸器内科医長となり、「これから先は、学生時代の夢だった老年医療に思う存分取り組める。これが運命だったのだ」と、さばさばした日々を送る長尾先生のもとに、一本の電話がかかってきた。京大病院副院長の一山智先生だった。

「医療安全は治療だ」
京大で認められ、手腕を発揮する

「京大病院で医療安全管理室室長をやってみないか。当院は、医療安全の取り組みを最優先事項と位置付けている。医療安全をおろそかにして、病院運営は成立しない」

 明言された瞬間、「これが自分の生涯の仕事になる」と直感した長尾先生は、半年後の05年10月、京大病院に着任した。

 着任にあたり、一山先生から最初に課せられたミッションは「早期報告・早期共有」の実現だった。