上海で頻繁に起こる
立ち退きの恐怖

 上海では日本料理店を経営していた坂下さんだが、クアラルンプールでは和食ではなくイタリアン「Bistro Fiore」を構えた。8年前に視察に訪れたクアラルンプールには、気軽に入れるイタリアンがなかったため、「市場あり」と読んだからだった。

 上海の店舗を経営しながら、2011年にクアラルンプールに店を出し、2015年に完全シフトを図った。今では中華系マレーシア人と日本人の予約で席が埋まる。そのマレーシアの経営環境を、坂下さんはこう評価している。

「何といってもビザです。ビザの“出し惜しみ”がないことに好感を持ちました。正規にちゃんと手続きをすれば、自分の力で取得できるのです。営業許可もエージェントを通さず独力で申請でき、規定の資本金を積めば何の問題もなく営業許可が下ります」

 マレーシアに移ってきて4年。「あのとき決断して良かったと思っています」と坂下さんは振り返る。

 先陣の後を追う動きも始まっている。冨士義貴さん(40歳)もまた、今年10月の開店を目指し、上海からマレーシアへの移転を試みるひとりだ。

マレーシアに今秋開店予定の「パンチ冨士屋」前で。「マレーシアでも串カツ文化を広めたい」と冨士さんは語る(画像は本人提供)

 冨士さんが上海市で店を開いたのは、今から6年前の2013年のことだった。上海に駐在する日本人から聞いた上海の飲食市場に興味を持ち、“日本人村”と呼ばれる古北新区にほど近い古羊路で串カツの店を開いた。客にも従業員にも恵まれたとはいえ、習近平政権への移行とも重なるこの6年間は、ビジネス環境の激変に翻弄された。

 冨士さんは今年6月、6周年をもって上海の店を閉じた。きっかけはテナント契約の更新だった。更新すればこの先3年は上海で商売を続けることになるのだが、その間の“不確定要素”はあまりに大きかった。冨士さんにとって、政策の変更や経済の浮き沈みが引き金となって起こる「立ち退き」は、最も避けたいリスクの1つだ。

「仮に立ち退きを迫られ店舗移転ともなれば、内装工事費などで軽く100万元(約1500万円)が吹っ飛んでしまう。そうなると、開業時の借入金完済が遠のいてしまいます。多くの飲食店がこの『立ち退きリスク』と背中合わせ。上海では、長期にわたって同じ場所で経営するのはとても難しいのです」(冨士さん)