哲学と宗教を学ぶ意味
おそらく「昔の人に比べて今、なんですごい人が出てこないんだ」という考えの前提には、人間の脳みそも進化しているはずだ、という思い込みが多分あるのでしょう。
人間が進化しているのなら、昔の人より今の人のほうが優秀なはずですが、進化していないとしたら簡単に説明ができます。
そういう意味で、哲学や宗教の歴史を学ぶことは、どこで、いつ、どういう優れた頭脳が生まれたかということのフォローでもあるのです。
なぜ、人間が進歩しているのに違いない、と思い込むかといえば、これは技術が進化するからです。
技術は蓄積なので、スマホができたら、もはやガラケーに戻れないでしょう?
技術の世界は一直線なのです。
どんどん、よくなっていくのです。そうでしょう?
お米の炊飯器でも、僕が子どもの頃は薪で炊いていましたけれど、炊飯器が発売された時にはめちゃ便利だと思いましたね。
昔の炊飯器は単純で、普通に炊けるだけでしたが、今はいろいろな炊き方ができる。
このように、技術は蓄積なので、どんどん進化していく。
すると人間は、進化する技術に取り囲まれているので、つい自分たちも進歩していると錯覚するのです。
だから、昔に、優れた人がいたことがなかなか受け入れられない。
けれど、脳みそが進化していない限り、アット・ランダムで考えたら、昔にたまたま偉い人が出て、すごいことを考えたのはごく当たり前のことだと理解できますよね。
そこに、おそらく、歴史や昔起こった出来事を勉強する意味があるのでしょう。
脳は進化していない、すなわち、われわれも昔の人もまったく同じ脳みそを持っているわけですから、同じ脳みそを持っている人の中で優れた人がやったこと、考えたことの事績を見るのは、すごく意味があることだと思います。
(次回につづく)