もちろん、香港の若者たちは「民主化の闘い」だと思い、つゆほども疑念を持っていないだろう。だが、現実に起こっていることは民主化ではなく、何か「新しいもの」が生まれつつあるのではないかと考え始めている。

 ユヴァル・ノア・ハラリ氏の世界的ベストセラー『ホモ・デウス:テクノロジーとサピエンスの未来』には、次のようなことが書かれている。

 民主主義は、19世紀から20世紀の大量生産・総力戦の時代に発展した。なぜなら、兵隊や工場の労働者として多くの男性に働いてもらわなければならない。そして、男性が兵隊となって、労働者がいなくなった工場で、多くの女性に働いてもらわなければならない。そのためには、「人間はみんな平等」という民主主義の価値観が必要だったからだ。

 言い換えれば、「平等」でなければ、誰も兵隊や労働者になって、国家のために働こうなんて思わない。だから、大量生産・総力戦の時代に、国家が民主主義の価値観を採用するのは必然だった。

 だが、人工知能(AI)などテクノロジーが発達する時代になると、民主主義は衰退せざるを得なくなる。さまざまな分野で業務が極限まで効率化されて、労働力としての人間は必要なくなる。戦争はロボットやドローンが闘い、サイバー戦争は数分で終わる。兵士も銃後の女性労働者もいらなくなる(第113回)。こうなると、国家が「みんな平等」の価値観で国民に機嫌をとる必要はなくなってしまう。

 一方、権威主義もAIなどテクノロジーの時代に対応できない。権威主義的な政権も、テクノロジーの発達のペースやデータの流れの速度と量に圧倒されて、ついていけないからだ。

 それでは、民主主義でもなく、権威主義でもないとすると、それは何か。

 得体が知れないが、誰が権力を持っているかもわからない状態で、多くの人が動き、権力を失って管理者にすぎなくなった国家を翻弄し続ける。

 『ホモ・デウス』に書かれていたことは、このような趣旨であったと理解しているが、現在の香港で起こっていることは、「新しいもの」の萌芽といえるのかもしれない。