当時の軍事独裁政権を支えたのは、安全保障では米国であり、経済では日本だった。当然ながら、文政権の支持者たちは日米とは縁遠くなる。

 文政権が知米派や知日派の外交官を退けたのは、そういう理由がある。

 一方で保守政権と「体制競争」を繰り広げた北朝鮮には、同じ民族という同朋意識とともに、「敵の敵は味方」という論理で親近感を持つ。だから、文政権は南北融和政策に傾く。

 こうした思考は対日外交でも同じだ。

 多くの韓国の知人たちからは、「文政権について反日というのは正確ではない。無関心というべきだろう」、「すべて内政中心。対日外交はその結果にすぎない」という話を繰り返し聞かされてきた。

 実際、文政権は発足当初、日本との積極的な対話を目指した。安倍晋三首相は初めて文氏と会談した後、周囲に「朴槿恵氏よりも親近感が持てる指導者だ」と語っている。

 それは、朴前政権が慰安婦問題で日韓関係をこじらせた経緯があるからだ。

 当初、対話路線を推進した文政権は、安倍首相が日朝首脳会談を模索していることを知ると、側近の徐薫国家情報員長がカウンターパートの北村滋内閣情報官に、朝鮮労働党統一戦線部の金聖恵統一戦略室長を紹介した。

 だが、安倍政権が米韓合同軍事演習の中断に懸念を示し、北朝鮮に対する制裁堅持を訴えると、文政権は徐々に不快感を募らせ、安倍氏と文氏の信頼関係も薄れていった。

支持率下がればより強硬に
差し押さえ資産の現金化、年内にも

 おそらく、日韓関係がここまで険悪化すると、文政権は支持率が維持できる状況では、これまでと同様の「内政次第の外交」を展開するだろう。

 支持率が下がり始めたら、逆にさらに「外交を犠牲にした内政」を始めるだろう。愛国心などに訴えて国民や支持者の結集を図るというやり方だ。

 文氏が大統領府幹部として支えた盧武鉉大統領も2004年、韓国国会から選挙法違反などで弾劾の議決を受けた。支持基盤だった進歩勢力の一部が離反し、保守勢力と手を握った結果だった。