チリ政府は10月6日に首都サンティアゴの地下鉄運賃を30ペソ(約4.5円)引き上げると発表した。朝夕のピーク時における初乗り料金の4%に相当する値上げだ。
これをきっかけに大規模な暴動が発生。政府は10月19日に非常事態宣言を行う。セバスティアン・ピニェラ大統領は治安の早期回復を狙って、地下鉄の値上げ撤回や年金支給額の即時20%増加、健康保険の改善、最低賃金の引き上げ、閣僚の大幅な入れ替えなどを発表する。
しかし暴動は全国に波及、同国で11月中旬に開催予定だったアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議などが中止となってしまった。4.5円の地下鉄運賃の値上げでなぜこうなってしまったのだろうか?
中道右派の現政権は、今までビジネス界にフレンドリーな政策を推進してきた。それによって海外から投資資金が流入し、チリ経済は一時好調に見えた。ところが所得格差は激しい。国際連合の2017年調査によると、所得上位1%の人が所得全体の33%を得ており、これは経済協力開発機構(OECD)の中でトップクラスだ。
実は、チリは外国の多くの中央銀行にとって理想的な物価上昇率を実現している。日本銀行は現在2%をやや上回るインフレ率を目指しているが、チリの平均年間インフレ率は17年2.18%、18年2.32%、19年2.22%(国際通貨基金〈IMF〉推計)だ。
しかしながら、賃金が伸び悩んでいる低中所得層にとって、公共料金などの値上げによる生活コストの上昇は深刻だ。ピニェラ政権の支持率は15%へ急落。これは民主化以来最低の数値だ。チリの調査機関によると、労働者の5割は月収40万ペソ(約6万円)未満で暮らしているという。
今回値上げは撤回されたが、サンティアゴの地下鉄運賃は1999年に比べて185%も上昇している(朝夕のピーク時料金)。主な先進国の地下鉄運賃は同期間にどうなっているだろうか?
米ニューヨークは83%上昇、米サンフランシスコは74%上昇、英ロンドンは60%上昇(地下鉄カード使用時)、ドイツ・フランクフルトは54%上昇、スウェーデン・ストックホルムは221%上昇だ。
それらの街の低中所得層も生活コストの上昇に不満を抱いていると思われる。ただ、暴動が頻発していないのは、収入がそれなりに増加しているからだろう。
他方、東京メトロの地下鉄初乗り運賃は、99年は160円。現在は現金購入で170円(6%上昇)、交通系電子マネー「パスモ」での支払いなら168円(5%上昇)だ。この間の消費税率5%引き上げを差し引けば、実際はほぼ値上げはないことになる。
日銀の黒田東彦総裁は13年にニューヨークでの講演で、東京オリンピックが開催される7年後には地下鉄に160円で乗ることはできなくなっている、と自信満々に述べていた。異次元金融緩和策の効果が発揮されているはずだと当時の日銀は信じていたからだ。しかし、実際は前述のように消費税率の要因を除くと東京の地下鉄運賃はほぼ値上がりしていない。
もっとも、賃金の伸びは緩やかで年金生活者の比率も高まっている現状において、生活コストがもし欧米並みに上昇していたら、国民の不満は著しく高まっていたと思われる。インフレ目標が依然として達成されていないが故に、安倍政権の支持率は低下しないで済んでいるともいえるだろう。
(東短リサーチ代表取締役社長 加藤 出)