わずかな製造原価のお札が
価値を持つ理由

 次に「お金が信用で成り立っている」ことを考えてみよう。

 お金が「価値を交換するために考え出された手段」ということであれば、誰もがその手段が有効である(=価値がある)と認めなければならない。具体的に言えば、我々が使っているお金、例えば1000円札は、いわばただの紙切れである。ところが少なくとも日本国内であれば、どこへ持っていっても、1000円札を持っていれば1000円分の品物やサービスを買うことができる。

 でも恐らく1000円札1枚の製造原価は十数円ぐらいだろう。だとすればどうして1000円札に1000円の価値があるのだろうか?それは、誰もが1000円札に1000円分の価値があると認めているからだ。すなわち誰もが1000円札の価値を信用しているからなのだ。「お金が信用で成り立っている」というのはこういうことなのだ。

 もし遠いアフリカの奥地の村で1000円札を出しても、恐らく通用しないだろう。それは、その地域で日本の1000円札に対する信用がないからだ。逆にそのアフリカの国で通用している通貨を日本に持ってきても、買い物をすることはできない。それは、誰もそういう通貨を知らないからだ。

 つまりお金(=通貨)は、誰もが同じ価値があると認めた信用の上に成り立っている制度なのだ。したがって、通貨に信用がなくなってしまうと、その国の経済は崩壊する。ハイパーインフレが起きると通貨の信用は全くなくなってしまうということは、少し前のジンバブエや最近のベネズエラで目の当たりにしたことなので、よくわかるだろう。

 先ほど述べたように「お金は単なる記号でありデータ」なので、それに対する信用がないと成り立たないのである。日銀をはじめ、各国の中央銀行が「通貨の番人」といわれ、大幅に価値が下落することのないようコントロールしているのは、このためなのだ。