前例無き事象に足を踏み入れ、それが企業の命運を左右するようなことにつながりうるという直感が誰しもに働いたからこそ、法廷において様々な思惑が交錯したのである。これはプラットフォームという一見無機質なものが、たとえWEB企業であったとしても、結局のところは人によって形作られているということの証左と言えるだろう。 

非合理性の中にこそ
生まれるドラマ

 一方で、歴史とは繰り返されるものである。WEBの雄たるヤフーにもスマホ革命という時代の潮目が訪れる。結局、このスマホ戦争を制するため、アプリのダウンロード戦争に心血を注いでいくも、そうしたありかた自体がこれまでヤフーが築いてきたプラットフォーマーの地位を、アップルに奪われていくことを意味していた。

 そしてヤフーニュース自体をプラットフォーム化することを目論んだ一人のヤフー社員は、想像もつかないような状況に陥り、新たなプラットフォームの構築を目指して、ヤフーから抜け出していく。はたして彼の運命やいかに?

 組織という大きな枠組みで見れば、勝負の分かれ目がどこにあったのかは歴史が明確に教えてくれる。しかし組織に属する個人にとってはどうだろうか? 成果に直結しているのかどうかも分からない不毛な努力、何が原因でそうなったのか分からない理不尽な人事、そういった組織の中で悶々としながらも奮闘していく人に向ける著者のまなざしは、どこまでも優しい。

 市場そのものが拡大している中に身を置けば、そのような苦境を避けることはできたのかもしれない。しかし皆が皆そのような合理的な判断を下せるわけでもない。その非合理性の中にこそ、ドラマは生まれるのだ。

 いつだってメディアの変化は足元からやってくる。それを著者は自身の足を使って描き出した。ビジネス書としての確かさ、そしてノンフィクションとしての読み応え、双方を併せ持つ一冊と言えるだろう。

読売、日経、ヤフー…メディアで繰り広げられる異種格闘技の未来

(HONZ 内藤 順)