「忘年会スルー」という言葉が、若い世代を中心に支持されている。しかし、今から80年以上前から、「忘年会のような無駄な慣習は止めよう」という考えはあった。戦後の食糧難の時期はもちろん、1955年にも国を挙げて忘年会を止めようというムーブメントがあった。それでもなお、日本人が「忘年会」に固執した理由はどこにあったのだろうか?(ノンフィクションライター 窪田順生)
「忘年会スルーしたい」は
80年前からある“本音”だ
「忘年会スルー」という言葉が注目を集めている。
これは読んで字の如しで、ムード的に全員参加が求められる会社の忘年会を欠席すること。SNSで話題となったことで、情報番組などでも取り上げられるようになったのだ。
この「忘年会スルー」については働く人たち、特に若い世代からはかなり支持されており、「一刻も早く日本の新しい常識として定着してほしい」という声も少なくない。かねてから「金を取られて、上司の説教やくだらない武勇伝を聞かされるなんて拷問」と叩かれている「会社飲み会」よりも、忘年会の方が強制参加のイメージが強いので、当然といえば当然の反応だろう。
ただ、そのような人たちをガッカリさせるようで心苦しいのだが、「忘年会スルー」が日本社会の常識として定着するのには残念ながらまだまだ当分、時間がかかると見ている。
なぜかというと、「忘年会」というのは、日本人が80年以上前からスパッとやめたくともやめられないで、ズルズルと手を切ることができなかった「病」のようなものだからだ。
多くの人たちは、「忘年会スルー」のように会社の飲み会への批判というのは、最近になって出てきた比較的新しい考え方だと思っているかもしれないが、実はそんなことはない。例えば、戦時中の代表的な植民地新聞である「満州日報」(1932年2月19日)の中には、かの地で外国人からよく指摘される『日本人の生活ほど無駄の多いものはない』ということの一例として、こんな「悪癖」が紹介されている。
「祝がある悲しみごとがあるといってはグデングデンに酔いつぶれるまで飲ませなければ義理のわるいのが日本人の習慣です、歓迎会、送別会、忘年会、新年宴会といえば赤字つづきの薄給サラリーマンでも無理算段をして高い会費を捻出して芸妓をよばねばならない情ない現状です」
80年以上前のサラリーマンも本音を言えば、忘年会など「スルー」したかった。が、できなかったのである。この国おいて、会社で仕事をするということは、上司や同僚と酒を酌み交わしてドンチャン騒ぎをするということとほぼ同じ意味だからだ。