バブル崩壊後に訪れた
生活保護受給者の受難
筆者自身は、天皇家や天皇制にあまり関心を向けていない。しかし、2019年に「平成」から「令和」への元号の移行が行われた事実は小さくないと思う。今回は、生活保護にとっての「平成」の足掛け31年間を振り返ってみよう。
「平成」が開幕した1989年は、バブル景気がピークに向かっていた時期だった。この年、生活保護受給者数は約110万人、人員ベースの保護率は0.89%であった。おおむね、現在の半分程度にあたる。
この後、バブル景気は拡大を続けたものの、1991年(平成3年)には「バブル崩壊」に至る動きが出現し、翌年の1992年になるとバブル崩壊は否定しようもない流れとなっていた。しかし1995年(平成7年)、生活保護受給者数は約88万2000人まで減少し、保護率も0.70%まで減少、いずれも戦後最少となった。バブル崩壊の影響が、生活保護において現れ始めるのは、1998年(平成10年)頃である。
その後、「景気回復によって生活保護へのニーズが減少した」といえる時期は、現在のところは現れていない。また、生活保護受給者の高齢化は日本全国の高齢化に先駆けて進行しており、2016年には高齢世帯が50%を超えた。
同時に単身世帯の比率も増加しており、高齢の生活保護世帯のおおむね90%は単身世帯である。日本の伝統的家族観や価値観を比較的深く内面化しているはずの高齢者に見られる単身化傾向には、数多くの背景が考えられる。
最初に考慮すべき要因は、本人の家族観や価値観とは無関係な経済状況であろう。2015年に65歳となる人は、バブルが完全に崩壊した1995年に45歳だった。その年齢でバブル崩壊の影響を受けると、その後の生活設計は困難に瀕し続けたままであった可能性が高い。
このような時代背景を念頭に置き、生活保護と平成を象徴するトピックを眺めてみよう。筆者が独断で選んだトピックは、「クーラー」「外国人」「生活保護基準」「大学等への進学」の4つだ。