10年の区切りを迎えるたびに、メディアで働く私たちは自分たちの商品を売り込むために、ここぞとばかりに過ぎた時間についてあれこれと大げさに言い立てる。その点は記念日と似ている。ただ記念日の場合、少なくとも過去の特定の時期に特定の場所で起きた出来事を思い出す。一方、10年をまとめて振り返ったところで、種々雑多な出来事をつなぎ合わせるにすぎない。歴史が0で始まって9で終わる10年単位にきちんと区切られていると考えるのは、ばかげたことだ。過去を振り返って、1950年から1959年までの10年間そのものに、例えば1953年から1964年までの10年間より重要な意味があったと言えるだろうか。西暦の起源となった男――私たちは今週、彼の生誕を祝う――でさえ、実際に生まれたのは西暦0年ではなく、紀元前5年頃だ。そのこと自体、意味のない数字に無理やり意味を持たせてもいいという発想を神が戒めているようなものだ。
ポピュリズムの2010年代、景気拡大でも不安強く
テクノロジーの進歩は停滞したが、経済は拡大し続けた
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