坐禅の修行をするとき、時間や空間といった概念はなくなる。「6時15分前に、ここで坐禅を始めました」と言うと、15分前という時間の概念、この部屋という場所の概念が生まれる。しかし、そこで行っていることは、ここに座って宇宙の活動に気が付いているだけだ。

 私たちは人生に疲れてくると、「こんなところに来るんじゃなかった」などと後悔することがある。だがこれは、心の中で、実際に自分のいる時間と場所とは違う場所の概念をつくり出しているだけなのである。

 時間と空間を別々の概念で捉えると、選択の余地があるように錯覚してしまう。しかし実際には、「なにかしなければならないこと」か「なにかしないこと」のどちらかを行っているにすぎない。いいこと、悪いこと、というのは、心の中のことだ。「これは悪いこと」「これはいいこと」などと分けるべきではない。

◇コントロール

 あなたが羊や牛をコントロールするとしたら、どんな方法をとるだろうか。最善の方法は、広々とした草地に放つことだ。人についても同じことがいえる。好きなことをさせておいて、それを見守るのだ。一番よくないのは無視することで、次によくないのはコントロールしようとすることである。

 これは、自分自身をコントロールするときにも当てはまる。坐禅で落ち着きを得たいならば、心に浮かび上がるイメージに邪魔をされないことだ。イメージは浮かんでは消えていくが、それをそのままにしておく。

 この方法は簡単ではない。相当の努力が必要とされる。一つだけアドバイスをするならば、自分の呼吸を数えること、そして、息を吸うことと吐くことに集中することである。

 ただし、禅の目標は心をなにかに集中させることではない。ものごとをしっかりとありのままに捉えること、何事も起こっては消えていくままにしておくことだ。

◇二つではない、ということ

 修行はある考えを得るものではないので、なにかを期待してはならない。