福島原発の事故以降、「脱原発デモ」が盛り上がりを見せる一方、世間一般では「脱原発」への意識が二極化し始めている。原発がいいか悪いかは別として、国家の命運をも左右するエネルギー政策の議論がトーンダウンしかねない風潮を懸念する声は、小さくない。また、脱原発デモ参加者の中にも、なかなか主張が政策に反映されないことに対して焦りを感じる人が増え、運動のあり方について意見が二極化するトレンドが出てきている。昨年の3.11以降、リアルに「生存の危機」に晒され、脱原発への意識を高めていた国民の心境に、どんな変化が訪れようとしているのか。その背景にある原因と、今後我々が議論すべき課題を探った。(取材・文/プレスラボ・宮崎智之)
国会まで包囲した「脱原発デモ」
熱狂を冷めた目で見る若者たちも
「脱原発には賛成だし、デモをする人の気持ちもわかるけど、デモより有効な手段があるように感じるため、私は参加しません」
ある30代の男性Aさんは、世間で盛り上がりを見せている「脱原発デモ」について、こう語る。他にもこうした声は少なくない。
「正直、『デモなんかやって意味あるのかな』と思ってしまいます。デモをやることで脱原発の主張が盛り上がっていることを伝える手段にはなっていると思いますが、そんなことする前に、しっかり今後のエネルギー政策をどうするのか、議論する方が先のように思います」(Bさん・20代女性)
「夏の炎天下のなか、子ども連れで参加する母親の姿勢には、疑問を持ちました。子どもにプラカードを持たせると、切実さをアピールする手段になるとは思いますが、何もわからない子どもにそういうことをさせるのは、どうかと思います」(以前、デモに参加したことがあるCさん・20代女性)
一方、デモは相変わらずの盛り上がりぶりだ。昨年3月11日に発生した福島第1原発の事故後、政府の対応の遅れや原発行政のずさんさなどが明るみに出るにつれ、国民の不満が噴出し、震災1ヵ月後にはすでに高円寺などで「脱原発デモ」が行なわれるに至った。その後も全国でデモが頻発している。