私たちが誰かを「かわいい」と言うとき、そこには未熟さや不完全さが含まれるものだ。歌が下手であることは、アイドルに必須の「かわいい」を表現する強力な武器になる。だから、アイドル歌手は多くの人が応援できるような「頃合いの下手」が求められたのである。

 本来の意味の「アイドル」は、多くの人が応援したくなるような未熟さや不完全さを持つ「かわいい女の子」のことである。

 典型的には、誰もが好感を持てる透明感のあるルックスや幼さをたたえ、かつ、ドジであったり、下手であったり、純真に見えるタレントほど、アイドルとして大成しやすかった。ただし、大成してもやっぱり未熟で未完成であることは、アイドルであれば受け入れざるをえない宿命である。

松田聖子は
アイドルの例外

 私が「アイドルは歌が下手なものだ」と言うと、ピンク・レディー(活動期間の中心は1976~81年)や松田聖子(1979年以降)や中森明菜(1982年以降)を例にして反論されることがある。

 もちろん、その三者を「下手」でくくるのは適切ではないかもしれない。ただし、この三者は「アイドルの例外」なのである。

 ピンク・レディーはデビュー前から完成されていた。

 初期は奇抜さが先に出て「ゲテモノ」と評価されるほど独創的だった。当初はキワモノとして常識的な人たちから敬遠されたが、歌唱力が評価されるようになってからは、派手さや振り付けのわかりやすさなどから子どもたちも巻き込んで熱狂的に支持された。

 だが、スタイルが確立されていたために飽きられたら終わる宿命にあった。そういった意味でも、ピンク・レディーはアイドルの特殊例に入れるべきだろう。

 松田聖子は大バッシングの中、『赤いスイートピー』によって「女性のためのアイドル」に転化した例である。「未成熟」を超えて、「結婚しても、母親になっても、不倫をしても、アイドルであることが揺るがない」という新しいアイドル像を作り上げたモンスター・アイドルである。

 中森明菜はアイドル出身ではあるが、自己プロデュースにこだわり続けて、「歌で表現する女優」という極みに立ったプロ歌手と言うべき存在だろう。いわばアイドル出身のプロ歌手である。

「アイドルといえば松田聖子」という認識の人は少なくないだろう。

 だが、松田聖子はアイドルの例外ではあっても、典型ではない。松田聖子でアイドル一般を語ると見えなくなるものがある。「典型」の一例を挙げるなら、私たちの世代なら「歌のつたなさ」がもともと内在していた透明感を倍加させてアイドルの頂点に立った菊池桃子(1983年以降)を見るべきである。