アップルのスティーブ・ジョブズ、グーグルのエリック・シュミットやラリー・ペイジをはじめ、シリコンバレーの巨人たちを導いた伝説のコーチ、ビル・キャンベル。「1兆ドル」以上もの価値を生み出したという彼について書かれた『1兆ドルコーチ──シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え』(エリック・シュミット、ジョナサン・ローゼンバーグ、アラン・イーグル著、櫻井祐子訳)には、数々のエピソードとともに、ビル・キャンベルならではのリーダーシップのエッセンスがまとめられている。
この本を、人事の世界で活躍するプロフェッショナルはどう読んだか。急成長企業として注目される「DMM.com」の組織管理本部人事部部長の林英治郎氏に話を聞いた(構成:加藤紀子、写真:熊谷章)。
ビル・キャンベルは何がすごいのか?
林英治郎氏(以下、林) 本書の中で、ビル・キャンベルにコーチを受けたベン・ホロウィッツがこう言っていますね。
「誰もビルにはなれないんだから、ビルをそっくりそのまままねたって仕方がない。でも僕は人として向上する方法を彼から学んだ。より誠実になり、人間と経営をよりよく理解する方法をね」
この言葉は印象的でした。ベン・ホロウィッツは『HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか』(日経BP)の著者で、彼自身、伝説的なベンチャーキャピタリストですが、彼もまたビルのことを敬愛しているんですよね。
ビジネスのコーチと向き合っているのに、「人として向上する」という感覚を得るというのは、本当にすごいことだなと思いました。
そもそもビルはテクノロジー業界の綺羅星のようなCEOたちを数々コーチしているわけですから、専門領域においては、コーチングを受けている人たちのほうが絶対的に優れているでしょう。にもかかわらず、彼らは重要な意思決定の際、「ビルならどうするだろう?」と考えるほど圧倒的な信頼を寄せていました。
不可逆的で孤高な決断の価値基準のよりどころになりうるような、そんな存在って僕自身は出会ったことがないので、「こんな人、本当にいたんだろうか」と(笑)、そう勘繰りたくなるくらい、ビルの卓越した存在感に圧倒されました。
本気で人に「関心」を抱く
――目に見えてわかりやすいスキルやテクニックの向上ではなく、人間としての成長につながるようなことをアドバイスされると、押し付けがましいとかうっとうしいと感じる人もいるのではないでしょうか。ビルはなぜ、そう思われなかったのでしょう。
林 ビル・キャンベルが周囲に与え続けたことのコアが「愛」だったからではないでしょうか。『1兆ドルコーチ』の中にも、「とくに驚いたのは、ビルのことを語る人たちが『愛』という言葉を本当に何度も口にしたことだ」「偉大なチームを偉大たらしめているものの一つは、愛である」とあります。
ビルは「愛情と肯定」の人だったという表現もありました。愛情や思いやり、気づかい、やさしさで、仕事以外の生活も含め、まるごとの存在として人々を心から気にかけ、応援し、愛した。そうやって人間的価値を高めることこそが、ビジネスの成果をもたらすという文化を生んだ。だからこそ、精神的なアドバイスにも説得力があったのでしょう。
ビル・キャンベルがコーチした相手は皆、ビルが自分にいかに親身になってくれたかを語っています。こんなふうにすべての相手に興味・関心を持って生きるって、その人の人格そのものに向き合うことですから、つねにガチというか(笑)、オフの感覚はないでしょう。
だから普通の人なら疲れるし、つらいですよね。多くの人間にとっては自分がいちばんかわいいし、どうしても自分への関心が強くなってしまうものですが、ビルはいつも本気で相手に関心を寄せてくる。だから、そんな真正面からくる相手から逃げることはしたくないと思わせてしまうんでしょうね。
また、ビルは「洞察力」も際立っているように思いました。ビルは1on1ミーティングを通じて、相手をじっくり洞察しながらエンパワーしてやる気を引き出す一方、課題にフォーカスさせることで行動に移しやすくしていました。
1on1はその対話の後に個々の行動をうながし、チーム力を最大限に発揮させることにつないでいくための機会です。そこでビルは日常生活の部分と仕事の部分を分けず、一見無駄な旅行や家族の話題を本気で関心を持って聞きつつも、重要なアジェンダを「5つ」に絞り込んで議論するということをしていました。そのバランス感覚が秀逸ですよね。
本気で関心をもって聞いてくれるから、プライベートのことを話していても、相手は心をひらいて話せるのだと思います。そんな話の中から相手が抱えている問題や目標の本質を見抜いて、アドバイスを与えるという。そんなかたちで愛と信頼と洞察力が組み合わさって、優れたコーチングになっていたのでしょう。