病院は通常の外来診察をやめ、新型肺炎の治療を最優先せざるをえなかった。このため、新型肺炎以外の患者は治療してもらえないという事態に陥った。その結果、人工透析が必要とされる人や治療中のがん患者、持病がある人々が自宅で苦しみながら亡くなった。まさに二次災害だ。

 当然ながら、新型コロナウイルスに感染したたくさんの患者も、当初は入院できずに自宅で亡くなった。苦しみのあまり高齢者がマンションから飛び降りて自殺するなど、目を覆いたくなる惨状も繰り広げられた。こうした死者の数字は、統計として表には出てこない。

 また、全国各地から医療支援部隊の約3.5万人が武漢に派遣されたため、上海などの大都市の医療機関も一時、外来を停止せざるをえなかった。ようやく再開した日には、人々が冷たい雨の中、病院の玄関から延々と長い列をなしている写真がSNSに投稿された。

 このように中国各地の医療機関にも大きな影響を及ぼしていたことは、あまり国外には報道されていない。

クルマで間違って武漢に来た女性は
親の死に目に会えなかった

 健常者であっても、生活はきつい。

 武漢の市民は42日間、自宅から一歩も出ず、外の空気を吸うことができず、青空を眺めることができない。このような事態が延々と続く「先が見えない生活」はどんなに苦しいことか、容易には想像がつかないだろう。健康な大人も、活発な子どもも一律に自宅に閉じ込める生活を強いられている。

 突然の武漢の閉鎖や交通網の遮断なども多くの悲劇を生んだ。

 武漢の封鎖と各地の幹線道路の遮断・封鎖、農村部の村民の移動禁止により、人々は身動きができなくなってしまった。

 特に武漢の閉鎖直前にたまたま来ていた人々、あるいは、たまたま武漢を出た人々は、そのまま足止めされてしまい、どうしようもなくなってしまった。家族とは離れ離れになり、仕事場にも戻ることができない状況が今も続いている。

 ある中年の女性は危篤の母親と“最後の対面”をするため、クルマで入院先の病院へと急いでいたが、不幸なことに高速道路の出口を間違えて武漢で下りてしまった。結局、母親の看取は叶わず、一生悔いが残る結果となってしまった。

 また、武漢に働きに来ており家を持ってない農民工(農村出身の日雇い労働者)は行き場がないため、駅周辺に寝泊まりして、毎日3食を支援のカップラーメンで過ごしている。