JR西日本が2005年に起こし、107人もの犠牲者を出した福知山線脱線事故から15年がたつ。事故の原因を改めて振り返りつつ、この15年間で進歩したことと、まだ対策が不十分なことを整理してみたい。(鉄道アナリスト 西上いつき)

107人死亡の大惨事に…
事故後も大混乱が続いた

先頭車両が潰れてしまった福知山線の事故列車
107人が亡くなるという、近年では突出した大事故となった福知山線脱線事故。あれから15年、鉄道の安全性はどの程度進化したのだろうか? Photo:JIJI

 2005年4月25日に発生したJR西日本・福知山線脱線事故から、丸15年がたとうとしている。運転士と乗客107人が死亡、562人が負傷するという未曽有の大惨事だった。

 筆者は当時大学生で、福知山線と直通するJR学研都市線を使って通学していたから、当時の事故のことをとても生々しく記憶している。当日、事故の一報を聞き、学校でニュースを見てみたが、一瞬で背筋が凍りついた。何せ今朝も利用したばかりの青と水色をした207系車両が脱線・横転している。特にマンションに沿うようにひん曲がった状態となった車両を見たときは驚愕した。

 そしてさらに血の気が引いたのは、7両編成のはずの列車が、いくら数えても6両しか確認できなかったときだ。先頭車両が、マンションに突っ込んで見えなくなってしまったのだ。その後の調べにより、事故を起こした運転士が、普段私の利用する路線を運転していたと知った。ひとつ間違えれば私の身にも降りかかったのかもしれなかったこと、また同じ学校から犠牲者が出たことを聞き、改めて人ごとには感じられなかった。

 事故直後から運転再開までの2カ月近くの間、関西圏の鉄道ネットワークはまさに大混乱だった。アーバンネットワーク(JR西日本が当時使っていた京阪神近郊エリアの愛称)管内では、ダイヤ乱れが慢性的に続き、私自身も通学には余裕をもって30分も早く家を出るという生活がしばらく続いた。沈静化するまでは、毎日が異常時のようなすし詰め状態。だが皮肉にも、1・2両目は他車両と比べて極端に空いていたのが特に印象的だった。皆、事故の報道を受けて「先頭車は危険だ」という意識があったのかもしれない。その後、207系車両の塗色も、遺族・被害者への配慮からネイビー・オレンジへと変更された。

 大学卒業後、私は鉄道会社へ入社し、当該運転士と同じ免許を取得するのだが、各指導者から「安全」という鉄道における原理原則についてたたき込まれた。同じ職種に就いて、いやが応でもあの事故がどれほど危険で重大な事故だったのかを改めて思い知らされることとなった。

 事故の防波堤となるべきだったATS(自動列車停止装置)も、当時から大きな争点となった。事故現場となったカーブには、速度照査するATS装置が設置されていなかったのだ。もし整備されていれば、この悲惨な事故は発生しなかったかもしれない。しかし、2017年の最高裁で「ATSを本件曲線に整備するよう指示すべき業務上の注意義務があったとはいえない」との判断がなされ、JR西日本歴代社長3人については無罪が確定している。法治国家である以上、判決は受け入れるしかないが、やはり今でもATSが整備されていれば、と悔やまれる。