JR福知山線脱線事故(2005年4月25日) 
JR福知山線脱線事故(2005年4月25日) Photo:Duits/AFLO

平成の30年余ではJR福知山線脱線事故や信楽高原鉄道事故など、多数の死者を出す列車事故が相次いだ。新幹線の車内では、凶器を持った男に襲われ乗客が殺害される事件も発生した。1951(昭和26)年から63年の「国鉄戦後5大事故」(青函連絡船・洞爺丸沈没などを含む)のように、死者100人を超える事故が多発した時代に比べれば、重大事故は減ったかも知れない。しかし、安全最優先の列車運行において、事故は本来、絶対にあってはならないものだ。再発防止のため、忘れてはいけない教訓として、平成に起きた列車事故を振り返ってみる。(事件ジャーナリスト 戸田一法)

事故を誘発した「日勤教育」

 2005(平成17)年4月25日午前9時18分ごろ、JR西日本の福知山線塚口駅-尼崎駅間で7両編成の快速列車が脱線し、乗客と運転士の計107人が死亡、562人が重軽傷を負った。「JR福知山線脱線事故」だ。

 列車は兵庫県尼崎市久々知のカーブで先頭から5両が脱線、うち4両は線路から車輪が完全に外れていた。事故当時、先頭車両が車輪の片方が浮いた状態で傾きながら線路脇の電柱に接触、近くのマンション1階駐車場に弾き飛ばされた。

 2両目も同様に片輪走行の状態に陥り、マンションの壁にたたきつけられるように激突。さらに3・4両目に押しつぶされ、先頭と2両目は原形をとどめないほどに大破した。事故発生直後は「6両編成」と見間違えられるほどの惨状だった。

 事故を巡っては阪神・淡路大震災での経験が生き、近隣住民による救助活動が行われた。あまりに多数の死傷者が出たため救急車が不足したが、住民も乗用車で搬送に協力した。また座席がないトラックは荷台に人を乗せて公道を走行すると道路交通法違反になるが、県警はパトカーや白バイが先導する緊急措置で対応。こうした手段で、負傷者の半分を病院に搬送した。

 一方、列車にJR西日本の社員2人が乗車していたことが後に判明。職場に事故を連絡したところ上司が出勤を命じたため、救助活動ではなく出勤を優先させたJR西日本の対応が批判された。