中止を決めただけで、
救済案を出さなかった大会主催者への失望
夏の甲子園の中止が決まった。東京など一部地域でなお緊急事態宣言が続き、多くの高校が休校を続ける状況で、中止の判断はやむをえないのだろう。だが、その決定のプロセス、発表会見の心ない言葉の数々には激しく落胆し、憤りを覚えた。
「高校野球は教育の一環」と言いながら、大会中止を発表した大会会長は朝日新聞の社長だった。春もそうだが、夏の甲子園も結局、新聞社のイベントなのだという現実を改めて思い知らされた。
夏の大会中止は、センバツが中止された時点で予測できた。それなのに、日本高等学校野球連盟(高野連)は一切、球児たちとともに高校野球の目的を見直す動きや、代わりに何ができるかといった対話もアクションも起こさなかった。中止発表に際しても代替案は示されず、ただ「中止」が宣告されたに過ぎなかった。
いまこそ高校球児自身が
「新しい未来」を創造する時だ
中止を受けて、「代替大会を開くべきだ」といった声が高まっている。
「こんな時こそ、大人たちにできることがあるだろう」という提言も一理あるが、筆者は、いまこそ「選手たち自身に考え、アイデアを出し合ってもらいたい」と願う。