「全校一斉休校」や「アベノマスク」の決断が、専門家の助言に基づかない首相の独断だったことに対する不信感(本連載第237回)が募った。また、専門家が政府の「司令塔」のような振る舞いで持論をメディアやSNSで次々と発表し、国民がそれに従って行動自粛を続けていることに対する違和感が広がった。そして、外出や営業の自粛によって倒産や破算の危機に陥った事業者や個人の不満が高まった。

 加えて、「Too Little, Too Late (少なすぎる、遅すぎる)」そのもので、国民を失望させた個人の現金給付や企業への休業補償や、新型コロナウイルス対策とはまったく関係のない無駄なバラマキが多数含まれた「緊急経済対策」への批判も広がった(第239回)。

 肝心の新型コロナウイルス対策そのものも、世界の標準的な対策とは異なる独特なもので、世界最先端の研究の知見を専門家会議がフォローできていないと批判がある。また、PCR検査の実施を拡大すべきか、抑制すべきかの論争はいまだに続いている(第242回)。

 海外からも日本の新型コロナ対策は決して高く評価されているとはいえない。さまざまな海外メディアが、「最悪な対応しかできなかったのに、感染者・死者数が欧米諸国と比べて圧倒的に少なく抑え込まれている」ことを「日本の不可解な謎」として報じているのだ(朝日新聞5月26日付『「不可解な謎」 欧米メディアが驚く、日本のコロナ対策』)。

コロナ対策は「日本モデル」ではなく
都合のいい部分だけ自賛の「安倍モデル」

 安倍首相が、日本の新型コロナウイルス対策を「日本モデル」と自画自賛したことは、国民と世界をあ然とさせたが、筆者には別に驚きはない。安倍政権のいつもの姿だからだ。

 安倍首相は選挙のたびに、安全保障や原子力発電問題など、国論が二分されるような争点を隠してきた。そして、選挙に勝利すると、そういう問題を含め「私の政権のすべてが国民から信認された」と言い放ち、強引に「首相がやりたい政策」を進めてきた(第94回)。

「アベノミクス」や社会保障政策でも、都合のいい数字だけを取り上げて、その成果を誇った(第163回)。一方、都合の悪い結果は、すべて「民主党政権時代」に押し付けて、民主党政権を「悪夢」と罵倒してきた。

 要するに、都合のいい部分だけを取り上げて自画自賛し、都合の悪い事実は無視するか、他者に押し付ける。新型コロナウイルス対策も、まったく同じなのだ。これを「日本モデル」と言われるのはさすがに日本国民として困ってしまう。安倍首相には申し訳ないが、「安倍モデル」と呼ぶことにさせていただきたい。