対比するべきは、2000年前後、アジア通貨危機・山一證券破綻後から多くの企業で模索された旧来型の成果主義だ。当時の成果主義は経営主導のいわば「トップダウン型」。業績不振にあえぐ企業経営が上から振りかざした施策であった。だが、今起こっている「草の根成果主義」は、テレワークで働く従業員や世間一般レベルの“ムード”として広がる、「ボトムアップ型」の成果主義だ。

 そうした「草の根成果主義」のムードは、組織にとって何一つプラスに作用しない。メンバー同士は協力することよりも個別成果をアピールすることのほうに目が行ってしまうし、陰で「働かないおじさん」に文句を言いながら、徐々に自己中心的で排他的な行動をとっていくだろう。さらに、テレワークで業務の様子が見えなくなった分、従業員を「監視」するような目的で業務管理ツールを導入する動きも一部で見られる。これが「草の根成果主義」と相まれば、より職場のギスギス感は強まる。孤独になりがちな在宅ワークで監視されながら成果だけを見られる仕事を、楽しいと思う従業員などいない。

「草の根成果主義」に相いれない
日本の人事評価制度

 草の根成果主義の弊害はまだある。それは、「評価」の問題だ。

 日本の人事評価は不思議な制度だ。仕事の範囲や職責が極めて曖昧なまま働く従業員が多く、成長ポテンシャルや意欲、残業時間などのプロセスも含んだ総合的な評価になっている。どうしても上司による曖昧で主観的な要素が評価に強く入り込む。

 しかし、「曖昧であること」と「機能しないこと」はイコールではない。評価が誰にとっても曖昧であるがゆえに、自分だけではなく同僚も腹に落ちていないだろう(から仕方ない)という「痛み分け」の状態があり得る。合理的な制度にはなっていないことが逆説的に「のりしろ」となって集合的な納得感を高めることがある。そもそも、「結果だけでなく、プロセスまで評価してほしい」というのは、旧来の成果主義が消えていった時代に労働者側が強く主張していたことそのものだ。

 しかし、「草の根成果主義」のムードは、そうした柔らかさを許容しない。かといって、著しい「成果」の差に対して十分な報酬の差がつけられる処遇システムになっているかというと、もちろんそうではない。結局、「活躍する層」もまた、十分な処遇差が得られないためにこれまで以上に評価に不満を抱いていくだろう。成果の違いに敏感になりすぎるがゆえに、活躍層も非活躍層もともに不幸にするのがこうした「草の根成果主義」だ。