文芸春秋に入社して2018年に退社するまで40年間。『週刊文春』『文芸春秋』編集長を務め、週刊誌報道の一線に身を置いてきた筆者が語る「あの事件の舞台裏」。今回は文春砲の原点となった、命がけで追及したボクシング八百長疑惑を語る。(元週刊文春編集長、岐阜女子大学副学長 木俣正剛)
ボクシングスターの
八百長疑惑を追いかける
7月末に白井・具志堅スポーツジムが閉鎖されることが発表されました。具志堅用高さんといえば、いまやバラエティーとクイズ番組のおバカキャラという認識しかないでしょう。しかし、現役時代は世界王者として13回防衛の日本男子最長の記録を持つ、世界的なボクサーでした。そして、ボクシングこそ、相撲やプロレスと違い、八百長がない、純粋に力と力で勝負が決まると思われていた時代のスターでした。
その具志堅さんの勝利は八百長によるものだ、という情報が1982年、文春にもたらされました。取材への熱意がすさまじく、あまりに注文が多いので、編集部の誰もが彼のアシ(一緒に取材をする記者)につくのを恐れていたIさんというエース記者の情報でした。
そして、その取材のアシを命じられたのが私を含めた3人。ニュースソースは、具志堅さんの属する金平ジムの人で、証言は詳細をきわめています。
ある防衛戦では、相手のボクサーの食事(ステーキ)に睡眠薬を振りかけた。別の防衛戦では、相手のボクサーにオレンジを差し入れしたのだが、そのオレンジにも水に溶いた睡眠薬を注射したというのです。
話は面白いし、もちろんニュースソースの立場も信頼できるのですが、裏を取らないわけにはいきません。
Iさんと私で、まず、オレンジを差し入れされた韓国のボクサーを取材することになりました。当時の韓国は、まだ全斗煥大統領の時代。軍事政権で、夜0時になると絶対に外出禁止という時代であり、ある意味、今以上に反日感情も強い時代でした。
そんな時代にノコノコと「週刊文春です」と名刺を持って相手選手の事務所に行っても、簡単に信用してもらえるわけはありません。しかも先方の事務所のオーナーはライオン崔。 朴正煕暗殺に抗議して自分の指を食いちぎったという逸話を持つ元プロボクサーでした。
「週刊文春なんて雑誌が本当に日本にあるのか?」「あったとして、本当に文春の記者なのか」「一体、なぜ、具志堅との試合のことを聞くのだ」と矢継ぎ早に質問された揚げ句、連夜の酒盛りに連れ出されました。