経営の世界でもこのところ、「データドリブンが標榜される時代だからこそ、ある局面において経営者は自分の直観を信じなければならない」ということが、盛んに言われるようになっています。

 監査も同様です。同じデータ、同じシステムを用いても、そこから導き出される答えはけっして、まったく同じものになるわけではありません。多様な選択肢があるからこそ、そこに人間が関わる意味があるのです。

 ちなみに「直観」というのは、単なるひらめきや思い付きを表す「直感」とは異なります。蓄積された経験をベースに、物事の本質をとらえ、瞬時に最善の答えを見出す力のことです。

 実際、理化学研究所によるfMRIを用いた脳科学実験では、プロ棋士にはそうした直観的思考回路が存在していることが証明されています。熟練者には特有の脳の動きが認められ、最適な次の一手を瞬時で導き出すことができるそうです。

 ルールが明確で範囲が限定されている将棋の世界ではAIが人間に勝利していますが、人間の判断や感情に常に最適解があるわけではありません。経営も監査も、不合理な行動を取ったり、時にはルールを逸脱したりしてしまう人間を相手にする以上、そこで物を言うのは、創造性や信頼性を左右する「洞察力」です。

 いずれも鍛錬と経験を重ねることでしか獲得できないものであり、まさにそこに我々の強みがあります。求められているのは社会に対する価値であり、その具体例として、経営の意思決定を支えるインサイトをどれだけ生み出すことができるかということ。そのための手段として、AI監査を最大限に活用していきます。

未来への投資を
怠ってはならない

 AI監査を広く実現するうえでの課題を、どのようにとらえていますか。

 第一に「データインフラの整備」が挙げられます。デジタルテクノロジーを活用するためには、データの標準化とシステムの集約化が不可欠ですが、これが実現している企業は日本では少ないのが現状です。

 ERP(Enterprise Resource Planning)システムは導入済みで、一見するとデータの標準化・集約化が達成されているようでも、グループ内で別のシステムを使っていたり、同じシステムでもカスタマイズを重ねた結果、連携が取れないといったケースが珍しくありません。

 しかし、より重要かつ難しいのは「データ活用に関するコンセンサスの形成」でしょう。たとえば企業の壁を超えてデータ共有が進めば、監査の質はさらに向上するし、より深みのあるインサイトを経営に提供できるようにもなります。

 ただ、データ共有に対する抵抗感は根強く、技術的には事業者を特定できないようにすることは十分可能だと説明しても、なかなか賛同を得られません。

 もちろん、何としても社内に留めて、守らなければならないデータもあるでしょう。しかし、そうでないものも一様に抱え込んでしまうのが問題です。共有できるものは共有して、さまざまなデータを組み合わせることで新しい価値が生まれます。過度に慎重な姿勢は個々の企業や産業に留まらず、国家としても大きな損失につながりかねません。

 日本人は小さな変化には器用に順応できるのに、大きな変化に対応できないといわれます。これ以上世界に引き離されないためには、議論を深めて社会的な理解を醸成していく必要があります。