遊び人が「賢者」になる日――ジョブズに学ぶキャリア戦略
「役に立つかどうか」だけで物事を判断すると、すでに役立つことが証明されていることにしか時間を使わなくなる。
だが、「役立つ」ことが明らかになってからでは遅すぎる。「役立つ」ことが証明されている分野では激しい競争が起きるからだ。
受験勉強とプログラミング、「役立つ」のは?
私たちの世代には「子どもの頃から家にパソコンがあった」という人が一定数いる。私もその1人だ。学生時代、机に向かい、受験勉強という「役に立つ」と思われていることにとり組むと、ほめられるしテストの点数も上がった。だが、そこで学んだことの多くは社会に出てからはあまり役に立たなかった。
一方、家のパソコンでやっていたプログラミングは、役に立つとは到底思えなかったが、とことんのめり込んでいった。
まだ若く、ほとんど何もない中で起業しようと思えたのもプログラミングを昔からやっていたからだ。プログラミングと経営の双方に長い期間携わってきていることは、経営者しての私の強みに直結している。
役に立つことが証明されていないものはしばしば「遊び」と言われる。
しかし役に立つものであろうがなかろうが、夢中でとり組んだものは、その人のユニークさにつながる。とり組む対象が「遊び」要素の強いものであればあるほど、夢中度が高ければ高いほど、その行きついた先にある「点」はユニークで交換不可能なものになりやすい。
「遊び人」は常に「賢者」になれる可能性を秘めているのだ。