その一方で、安倍首相の辞任表明会見の前日に流れた「総理の会見の目的は、新型コロナ対策に関し新たな措置について説明するため」という情報は、関心を逸らすためのダミーというか煙幕のようなものだったということであろう。

 さて、辞任表明会見を受けて、まるで待ち構えていたかのように次期総裁選に向けた動きが活発化している。

 安倍総理からの禅譲が前提とされている岸田政調会長のほか、前回は安倍総理と一騎討ちで戦った石破元幹事長、そして菅官房長官が出馬を表明している。

 マスコミ各社の報道も、誰が出馬の意向なのか、誰が意向はあったが出馬を取りやめたのか、誰にどの派閥からの支持が固まったのか、誰と誰が会談・会食したのかといった情報や、両院議員総会で選出するのか、党員・党友投票まで行うのかという、どういう方法で次期総裁を選ぶのかという情報が中心となっていた。

次は「誰か」に注目が集まるのは
当然のことと言えば当然だが…

 確かに、次の日本の舵取りを任せるのは「誰か」に注目が集まるのは仕方がないというより、当然のことと言えば当然のことかもしれない。

 しかし、「誰か」に注目が集まり過ぎれば、なんとなく作り上げられたイメージが先行して、総理という職務の遂行に必要とされる能力や、そもそもこの国の置かれた現状やこの国を取り巻く世界の現状をどのように捉え、分析し、それを踏まえてどの様な政策を企画立案し、実施していこうとしているのかについての議論や批評が後回しにされてしまうことになりかねない。

 そもそも「この国の舵取りを任せる」とはそういうことであり、そうした基本的な能力や現状認識として「どのようなものが必要であり、求められるのか」がまず先にあって、その上で「誰か」ということになるのが常道であるはずなのだが(中途採用や重要な役職へ就任すべき者の人選という状況を想定してみれば、容易に察しがつき、理解ができるのではないか)。

 加えて言えば、同じ自民党であり、安倍首相の継承者ということになるので、「どう安倍政権の政策、アベノミクスを引き継いでいくのか」、この国の置かれた状況、取り巻く状況を踏まえて「どう修正し、新しい措置を追加していくのか」といったことも議論され、批評されるべきであろう。

 こうしたことを考えれば、現在の人物(イメージ)先行型の総裁選への道は望ましいものではないだろう(いろいろと突っ込みどころはあるものの、前回の自民党総裁選では、少なくとも政策議論は行われ、政策という観点からの選択の余地はあった)。