日本学術会議問題でのコミュニケーション戦略のミス

 それと対照的に、菅政権の今後にとって悪い兆候となりかねないのが日本学術会議をめぐる騒ぎです。

 この騒ぎについては、メディアはもちろんネット上でも様々な論考が展開されていますが、個人的には、政府が特定の候補について任命拒否できるのは当然と思います。

 日本学術会議がいくら独立性を主張しようと、政府の組織の一部である以上、そしてその会員は特別職公務員である以上、政権の監視が及ばないというのはあり得ないからです。1983年の国会での政府答弁との齟齬については、むしろその答弁が間違っていたのですから、早く修正すべきだっただけです。

 ただ、そうした中身の問題よりも個人的に気になっているのは、なぜ官邸は今回のような対応をしてしまったのかということです。

 というのは、おそらく任命拒否の判断は内閣官房副長官補のところで実務的に行なったと思うのですが、それが騒ぎになった初期の段階で、もっと詳しく説得的な答弁を総理・官房長官用に用意すべきだったはずです。政権のダメージコントロールの観点からは、問題や不祥事が起きた時は、先手を打ってできるだけ詳しい情報を開示することが不可欠だからです。

 ところが実際は、最初の段階での官房長官や総理の説明は、木で鼻を括ったような役人答弁に終始し、その後メディアや野党の追及で、2018年に内閣府が作成した文書(任命拒否について整理したペーパー)などの追加の情報が出てきてしまっています。

 このように、最初は最低限の情報・説明だけを出して、追及されて新たなファクトがボロボロ出てくると、それだけで世の多くの人は“政府はいかがわしい”という印象を持つようになるのが常です。

 今回の任命拒否が学問の自由の侵害という野党やメディアの主張など、個人的にはとんでもない暴論だと思うのですが、“政府がいかがわしい”という疑心暗鬼が生まれると、多くの人がそうした暴論も信じてしまうのではないでしょうか。