「知識だけの教養老人」と「教養がある人」の決定的な違い

佐藤優氏絶賛!「よく生きるためには死を知ることが必要だ。」。病理医ヤンデル氏絶賛!「とんでもない本だった。語彙が消失するほどよかった」。「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』が発売直後から話題となっている。コロナの時代の必読書である本書の著者・橋爪大三郎氏の特別インタビューを全5回にわたってお届けする。第2回は、教養について。そもそも教養ってなんだろう。本を読み、知識を蓄えることが教養なのだろうか? 橋爪先生に「教養の本質」について話を伺った。
(取材・構成/川代紗生)

どこかひとごとな「教養老人」

──教養の一つとして「宗教」を学んでおきたい、と思いつつも、なかなか自分ごととして考えられない人が多いのではないかと思います。「宗教」を、どんなスタンスで学ぶのがよいとお考えですか。

橋爪 宗教に興味があるのはいいことなんだけど、「そうなんですか。それで?」みたいな反応のひとが多いですね。宗教というのは、そのどれかを選択して、「自分が生きる態度にする」ということだと思うんだけど、あんまりそうなっていない。

 私は、ひとごとでなく死と向き合ってもらいたい。そのために「宗教」はちょうどよい踏み台になると思うんです。

 5年くらい、前期・後期高齢者たちを集めて、宗教のレクチャーをサービスでやっていたんです。それなりに大勢の方が集まったんですけども、「教養老人」みたいな人が多くて。

──教養老人?

橋爪 そう、新しいことを知ると、すごく喜ぶ。活発に質問するんだけど、時間が終わると、今度はすぐに次のテーマを勉強しちゃう。もちろんそれは向学心があって、いいことなんですが、なにか違うと思ったんです。

 「死の問題」というのは、すべての人に可能性がありますよね。だから、教養でもないし、若いも年配も実は関係ないんです。だから、自分の生き方として「宗教」を考えてもらいたいなと思っていたんです。

 避けて通れない大事な問題であることは確かだから、「で、それで?」とか、「はい、じゃあ次」とか、あんまり言ってもらいたくないですよね(笑)。

役立つ瞬間になってからでは手遅れ

──橋爪先生は教養というものを、どういうふうに捉えられていらっしゃいますか?

橋爪 教養って、役に立つか立たないか、わからないものなんですよ。誰だって、仕事や生活にすぐ役に立つことだけじゃないことをいろいろ知っていますよね。それが、思いがけないときに役に立ったりする。

 関係ないことも引き出しにしまっておいたら、たまたまどこかのタイミングで役立つ瞬間があるかもしれない。でも、結局、役立たないかもしれない。でも、役に立つ瞬間になってから、そういう知識を手に入れたんじゃ、手遅れなんだ。時間がかかるから、対応できない。

 さて、今、日本は、サラリーマンが大部分ですよね。いろんな生活の形態を自分で最終的に決定できないのがサラリーマンの特徴です。自営業でもないかぎり、雇用者に雇われなければ、働けないわけです。そこで、配置転換などがあると、今まで人事だったのが、突然、営業にならなくちゃいけなくなったりして、必要な知識がガラッと変わっちゃうじゃないですか。転職をして会社が変わったりすれば、なおさらそうですよね。だから、次の日から新しい職場で働けるためには、すぐ役に立つことだけじゃなくて、ほかのことも知っていないといけないんです。

 すぐ役に立つことを教える学校教育は、「職業教育」と言います。どんな仕事でもできるように、すぐに役に立たないことを教えるのが「普通教育」です。だから、中学・高校の教育は、「教養」の考え方でできているんですね。