教養がなければ困ることがある

橋爪 さて、教養って、役に立つんです。教養があればあるほど、人間が柔軟になる。いざというときの決定力やパワーが違ってくる。その事実に気がついた人は、高校が終わってからも、直接、役に立たないことを、いろいろ勉強していきます。そうすると、人びとが必ずしも気がつかないところで、みんなが生きていく条件をつくり出すために、社会をつくるために、具体的にどういう苦労をしているか……そんなことが、だんだんわかってくるわけです。

 こういうことがわからないと、実は選挙で投票はできないんだ。わからないで投票すると、「あの人のほうがテレビ映りがいい」とか「この人、元気がいいことを言っているな」とか、それだけで投票してしまう。

「知識だけの教養老人」と「教養がある人」の決定的な違い橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)
1948年生まれ。社会学者。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。大学院大学至善館教授、東京工業大学名誉教授。著書に『はじめての構造主義』『はじめての言語ゲーム』(ともに講談社現代新書)、社会学者・大澤真幸氏との共著に、『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書、新書大賞2012を受賞)などがある。最新刊に『死の講義』(ダイヤモンド社)。

 生活って、仕事だけじゃないでしょう。人間は、いろいろな場面で生きていくでしょう。投票もするし、ボランティアもするし、地域でも活動する。そういうさまざまな局面で役立つのが教養なんです。「死」について十分考えたことがあるというのも、教養の一つだと思いますよ。

 だって、子どもが、「私が死んだら、どうなるの?」とか、「お母さんも死んじゃうの?」みたいなことを聞いたときに、ドギマギしないで、その子にとって必要なことを、パッと言ってあげられるでしょ。

 言い方が10通りあれば、そのなかから最適なものが言える。1通りしかなかったら、それを言うしかないよね。

「態度と覚悟」を決める

──今回出版された『死の講義』で、死について考えることをテーマにされた意図は何だったのでしょうか?

橋爪 死は、考えにくいんです。いつか考えなきゃいけないとはわかっているのに、後回しにしてしまう。やり残した夏休みの宿題みたいになっている。夏休みが永遠に続くならば、夏休みの宿題はない。やらなくていいです。でも、永遠じゃないとしたら? やらなきゃいけないですよね。

 この本の提案は、死ぬ前に考えて、「態度と覚悟」を決めることです。「態度と覚悟」とは、生きざまのことで、死にざまのことではない。死をコントロールすることはできないけれど、「いつ死んでもいいように生きる」というのは、態度と覚悟の問題で、これは本人次第でどうにでもなるんです。

 そうすると、なんとなくその人は、一味違う──たとえば品格や落ち着きが出てくると思うんです。これが、「教養」ということの基本だと思う。

 死ぬことを考えるということは、自分がいなくなった、この世界について考えるということなんですよ。

 自分がいるこの世界について考えるのは簡単だ。見たり、感じたりすればいいんだから。でも、自分がいなくなったこの世界を見たり、感じたりはできない。ほかの人が死んでも、その人が死んだあと、世界はあった。ほかの人から見れば、私が死んでも、世界はある。でも、私にとっては、もう世界は、なくなってしまう。このとんでもないギャップを理解すること──それが、死を受け入れる大事な一歩です。

 だから元気に生きるためのワサビみたいですね、この「死」というのは。

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