佐藤優氏絶賛!「よく生きるためには死を知ることが必要だ。」。「死」とは何か。死はかならず、生きている途中にやって来る。それなのに、死について考えることは「やり残した夏休みの宿題」みたいになっている。死が、自分のなかではっきりかたちになっていない。死に対して、態度をとれない。あやふやな生き方しかできない。私たちの多くは、そんなふうにして生きている。しかし、世界の大宗教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教はもちろん、仏教、神道、儒教、ヒンドゥー教など、それぞれの宗教は、人間は死んだらどうなるか、についてしっかりした考え方をもっている。
現代の知の達人であり、宗教社会学の第一人者である著者が、各宗教の「死」についての考え方を、鮮やかに説明する『死の講義』が発刊された。コロナの時代の必読書である、本書の内容の一部を紹介します。連載のバックナンバーはこちらから。

日本人は「人間が死んだらどうなる」と考えてきたのか?Photo: Adobe Stock

仏教原理主義の挫折

 平安から鎌倉の時期に現れた三つの宗派(念仏宗、禅宗、法華宗)はどれも、多様な仏教をまるごとひとつのアイデアに「純化」しようとした。やり方はそれぞれ違った。どれも成功を収め、多くの信徒を獲得した。はじめて仏教に触れ、はじめて信仰をもった人びとも多かったことだろう。

 この三つの運動を、「仏教原理主義」とよんでもよい。「仏教原理主義は、仏教のまるごとを、ひとつのアイデアに純化する」。

 ここで「原理主義」とは、ある根本的な前提から、信仰の全体を体系的に組織することをいう。もともと原理主義は、キリスト教(のとくにプロテスタント)の運動だった。キリスト教は、イエス・キリストに従うものである。神の言葉は、聖書に記されている。そこで信徒は聖書を精密に正しく読み、自分たちの思考と行動の規準にしようとする。教会の伝統はさておき、聖書だけに従おうとする態度が原理主義だ。

 経典には、神の言葉ではなく、仏(ブッダ)の言葉が記されている。仏の言葉は、命令ではなく、勧告(アドヴァイス)である。そして経典は数が多く、さまざまな異なった、ときには矛盾することが書いてある。

 仏教の修行者は、それぞれ適当と思う教えに従い、ひとりがさまざまなやり方を順番に試したりする。仏教を「純化」するとは、こうしたばらばらなやり方を、ひとつの核になるアイデアのもとに体系化することである。キリスト教の原理主義とは異なるものの、動機や効果は似たようなところがあった。

 仏教原理主義は、挫折した。社会をつくり変える主役とはならなかった。代わりに、社会をつくり変える主役となったのは、武士だった。

 三つの新しい宗派が、打倒のターゲットとした荘園制や権門体制は、数世紀を経るうちに歴史の舞台から退場して行った。けれども、念仏宗の信徒や法華宗の信徒が、かわってこの社会を組織することはなかった。仏教原理主義には、この社会を組織する原理がなかったからである。この点、ルター派やカルヴァン派など、キリスト教のプロテスタント諸派の場合と異なる。

 武士は、世俗の団体で、戦闘力をもち、村落を統治する能力をもっていた。広域の組織も形成できた。武士の集団は、いくつもある仏教の宗派と距離をとりながら、統治権を樹立し、法律を設定し、政府を樹立した。

 政府と政府は抗争し、連合し、その集大成が江戸幕府であった。江戸幕府の原則は、どの宗派も政府の言うことを聞きなさい、である。言うことを聞いた宗派だけが、存続を許された。そして、行政事務(葬儀や出生登録など)を任された。寺請(てらうけ)制度である。