現在各国で開発・臨床試験が進んでいる新型コロナウイルスのワクチンですが、もし安全性と有効性が示されて、ワクチンが市場にでたら、政府は国民にワクチン接種を強いることができるのでしょうか?アメリカ・ボストン在住の医師、大西睦子さんによる寄稿です(連載第5回)。

強制ワクチン接種をめぐり続く論争

大西睦子(おおにし・むつこ)
内科医師
米ボストン在住、医学博士。東京女子医科大学卒業後、同血液内科入局。国立がんセンター、東京大学医学部附属病院血液・腫瘍内科にて造血幹細胞移植の臨床研究に従事。2007年4月からボストンのダナ・ファーバー癌研究所に留学し、ライフスタイルや食生活と病気の発生を疫学的に研究。2008年4月から2013年12月末まで、ハーバード大学で、肥満や老化などに関する研究に従事。ハーバード大学学部長賞を2度受賞。現在、星槎グループ医療・教育未来創生研究所ボストン支部の研究員。著書に、「カロリーゼロにだまされるな――本当は怖い人工甘味料の裏側」(ダイヤモンド社)、「『カロリーゼロ』はかえって太る!」(講談社+α新書)、「健康でいたければ『それ』は食べるな」(朝日新聞出版)。

指定感染症に対して、国はワクチン接種を強制できるのか? この問題は、2001年の医学誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン(NEJM)」に国立衛生研究所(NIH)のジョエル・ブレマン博士らが、120年前の、ボストンにおける最後の天然痘の流行の状況を通じて、強制的なワクチン接種をめぐる論争、今も続く倫理的な問題について論じています(※1:参考文献は記事末にまとめて掲載)。

1901年5月、ボストンのさまざまな地域で一連の天然痘の集団感染が起こりました。当時のボストンの人口は約56万人。発病率は1000人あたり3人で、致死率は17%でした。マサチューセッツ州は、1855年に全米で初めて学童の予防接種(当時は天然痘ワクチンのみが利用可能)を義務付けたので、公立学校に通う子どもたちに、ワクチンは効果的でした。

1901年の秋、ボストン保健委員会は、重病の患者以外すべての天然痘の患者を隔離病院に運び、「徹底的な消毒、患者と接触したすべての人のワクチン接種と再ワクチン接種、感染が疑われる人の2週間の監視」のプログラムを実施しました。ハーバード大学医学部のサミュエル・ダージン博士が理事長を務めていました。

1901年12月までに、40万人を超えるボストン市民がワクチン接種を受けました。それにもかかわらず、天然痘の症例が継続的に報告されたため、保健委員会は、「1897年1月1日以降ワクチン接種に成功していない市民全員、すぐにワクチン接種または再ワクチン接種すること」と命じました。

そして、「家から家への予防接種プログラム」が始まり、医師は市の最も影響を受けた地域に派遣されました。ワクチンは強制ではないといっても、ワクチン接種を拒否した人は、5ドルの罰金または15日間の実刑の対象となりました。

ホームレスは天然痘のまん延で非難されました。1901年11月、ボストン保健委員会は「ウイルス部隊」に、安価な下宿所に住んでいる男性に予防接種をするよう命じました。

ボストングローブの記者は、ある夜に部隊に同行して、その場面を目撃し、「ウイルス部隊は、もだえ苦しみ、ののしり、もがきながら抵抗するホームレスを押さえました。大きな警官が脚に座って、もう1人の警官は頭をおさえて、3人目の警官は腕をおさえて医師のために腕をむき出しにしました。警官のこん棒で打たれて倒れたホームレスは、医師にワクチン接種と頭皮の縫合の両方を受けました」と説明しました。

強制ワクチン接種に関する公聴会で、反対派はマサチューセッツ州の保健委員会が「多くの場合、独裁的な力で行動し、ワクチン接種を強制的に行った」と批判しました。

1901年11月、ダージン博士は「ワクチンを反対する人で誠実さを示したい人は、予防接種なしで天然痘にさらして、信仰や信念の効果を確認することを手配します」という異例の挑戦状を申し入れました。

すると、1902年1月、デンマークの移民であるインマヌエル・ファイファー医師が、天然痘の病院に行く許可を求めました。断食と催眠術を提唱したファイファー医師は、かつてアメリカ精神医学会の会長でした。保健委員会を猛烈に批判し、健康な人は天然痘に感染するリスクがないと考えていました。60歳のファイファー医師は、乳児期からワクチン接種を一切受けていませんでした。

1902年1月23日、ファイファー医師は天然痘の病院を訪問し、担当医師ポール・カーソン博士の付き添いのもと、天然痘患者100人以上と会いました。伝えられるところによると、博士は患者の息のにおいを嗅ぐことを提案したそうです。

訪問後、保健担当官は密かにファイファー医師を観察し、1902年2月8日、自宅で重篤な病気であることが判明しました。翌日、地元紙「ボストン・ヘラルドBoston Herald」の見出しは「ファイファーは天然痘にかかっている。反ワクチン接種主義者は生きられないだろう」でした。

保健委員会の医師は、ファイファー医師の死亡を当初予測しましたが、ファイファー医師は生き残りました。メディアは「ダージン博士の勝利を確認、ダージン博士の微笑み」という社説に、「これはワクチン接種反対の人にとって、ためになる教訓であり、予防医学の歴史に生き続ける運命」と述べました。

ただしブレマン博士らは、この事件が「ためになる教訓」であるか疑問を投げかけます。天然痘に関するファイファー医師の理論は彼自身のものであり、強制ワクチン接種の反対者の中には、彼の「愚かさ」を非難した人々もいました。ある新聞記事は、「ダージン博士がファイファー博士に予防接種を受けずに病院を訪問することを許可したのは正しかったのでしょうか?」と疑問を投げかけました。みなさんはどう思いますか?

そして、強制ワクチン接種の画期的な訴訟が起こりました。

1905年、マサチューセッツ州の市民が、個人の権利として天然痘のワクチンを拒否し、州に対して訴訟を起したのです。これ(ジェイコブソン対マサチューセッツ)は、個人の権利と公衆衛生の優先権について、米国最高裁判所で争われた初めてのケースでした。最高裁の判決は7対2で、「公衆衛生を守るために州政府の権利を支持」しました。

ボストンでは、1932年の症例を最後に、ついに天然痘との長い戦いに終止符を打ちました。天然痘の根絶が、ワクチンの接種、監視、病気の封じ込めにより達成されたのです。

それでは新型コロナウイルスのワクチンは義務化すべきでしょうか?

職場での予防接種の義務化、アメリカは合法判断

米国のすべての州で、子どもについては、学校へ通う条件として特定の伝染病の予防接種が義務付けられています。ただし、州や地域ごとに、医学的・哲学的・宗教的な免除が一部の子どもに適用される場合はあります。

また、米国では、成人用ワクチンの義務化は、それほど普及していませんが、あらゆる業界のすべての雇用主は、「合法的に」従業員に予防接種を強制することができます。必要であれば、州や市は、住民に予防接種を強制することができます。また、顧客に対して、義務付けることもできます。例えば、米軍では、破傷風、ジフテリア、A型肝炎、ポリオなどの予防接種を義務付けていますし、全米の医療施設で、医療従事者に特定の病気の予防接種を義務付けることが増えています(※2)。

それでは、新型コロナウイルスのワクチンが利用可能になると、州や雇用主が予防接種を義務付けるようになるのでしょうか。

現時点では、多くの米国人がワクチンの接種に警戒心を強めています。ただし、ファウチ所長のような、信頼のある専門家がワクチンの有効性と安全性を確認できたと太鼓判を押せば、あえて義務化にしなくても、多くの米国人はワクチンを接種すると思います。みんな元の生活に戻りたいので。それでも、ワクチンの接種率が低い場合は、州や雇用者が義務化するかもしれません。

そんなファウチ所長は、「ビジネス・インサイダー」のインタビューで、「2021年の終わりまでに、みんながワクチンの接種を受け、引き続き公衆衛生対策を実施(マスク、人と人の距離をあける、手洗いなど)し続ければ、2021年の終わりまでに、米国は新型コロナウイルスのレベルが非常に低くなり、ほとんどの人が保護される」と語ります(※3)。

日本では、2020年10月2日、厚生労働省が新型コロナウイルスのワクチンの接種を国の負担で無料にし、「努力義務(接種を受けるように努めなければならない)」とする方針を決めました。日本でも、ワクチンの有効性と安全性が確認されたら、多くの人が接種することを期待します。